東京地裁の判断:事故発生前後の経過と事後原因


 これ以降、前提事実・原告・被告の主張と反論を勘案した上で、裁判所としての判断とその理由が述べられる。



第三 当裁判所の判断
 一 本件事故発生前後の経過及び本件事故の原因
 (1) 本件事故発生前後の経過について
 前提事実、〈証拠略〉によれば、以下の事実が認められる。
 ア 本件レースの競技長であった被告中村は、平成一〇年五月三日午前一一時五〇分、本件レース前のブリーフィング一競技長と競技参加者らが一同に会して、競技長から競技参加者らに対して競技上の注意及び指示を伝える会合一を行い、フォーメーションラップは一周に限らない旨注意喚起した。原告も上記ブリーフィングに参加した。

 イ 同日午後二時一〇分、本件レースのフォーメーションラップが開始された。
 被告中村は、本件コースでレースを開始するか否かの判断の際の降雨量の基準を一時間当たり一六ミリメートルとしていたところ、フォーメーションラップ開始時の降雨量は一時間当たり五ミリメートル程度であった。しかし、本件レース場のある静岡県駿東都小山町では、前夜からの雨が断続的に降り続いていたため、本件コースの勾配がなく平坦なホームストレート上にはかなりの量の水が溜まっていた。
 被告中村は、フォーメーションラップ開始五分位前に、先導車ドライバーの鈴木に対し、先導車の助手席に同乗するアシスタントのコース副委員長である丙川竹夫一以下「丙川」という。一を介して、時速六〇キロメートル程度で走行するよう無線で指示した。

 ウ 乙山運転の先導車は、フォーメーションラップ開始後、シケイン付近の手前まで、ゆっくりとしたペースで走行した。
 競技車両は、先導車に続いて、概ねスターティンググリッドの順序を保ったまま、二列の隊列で走行したが、スターティンググリッド四一番の競技車両のスタートが遅れたり、スターティンググリッド三九番の深沢車がスロー走行をしたりしたため、最後尾の七台前後が遅れ気味であった。
 先導車は、シケイン付近を減速して通過した。また、シケインは走路が屈曲しているにもかかわらずコース幅が狭いため、競技車両は、一列になってシケインを通過した。
 被告中村は、先導車が一二番ポスト付近を走行中、丙川を通じて乙山に対し、フォーメーションラップをもう一周行うことを伝えた。

 エ 先導車は、シケイン通過後から、ほぼ一定の割合で加速して最終コーナーへ入り、その速度は、ホームストレートに入るあたり(シケインからおよそ七五〇メートル進んだ地点)で時速一二〇キロメートル前後に、コナミブリッジを通過するあたり(シケインからおよそ一五〇〇メートル進んだ地点)で時速一五〇キロメートル前後に達し、その後徐々に減速した。
 先導車の走行速度についての客観的記録はないものの、スターティンググリッドニ番、三番の競技車両積載のロガデータ(走行距離と速度を表示したデータ)は、フォーメーションラップ開始時から大体時速八○キロメートル以下でおよそ三〇〇〇メートル程度走行し、その後時速五〇キロメートル前後に減速した後(以下、この減速をした地点を「最低速地点」という。)、ほぼ一定の割合で加速を続け、最低速地点から七五〇メートルの地点で時速一二〇キロメートルに達し、最低速地点から一五〇〇メートルの地点で時速一五〇キロメートルに達し、その後徐々に減速したことを示しているところ、この最低速地点はシケイン付近にあたり、また、上記二台の競技車両は、先導車の二、三台後を走行しており、その速度は先導車の速度とほとんど差がないと考えられ、本件でロガデータの提出されたすべての競技車両が時速一五〇キロメートルを超える速度を出していることをも考慮すると、先導車の速度は前記のとおりと認めるのが相当である。
 被告らは、先導車の速度について、最終コーナーを立ち上がったあたりで時速一〇○キロメートル、コントロールラインを通過するあたりで時速一二〇キロメートルであり、競技車両の中には、スタート時に勝負をかけるため、一時的に先導車との車問距離を開けた上、一気に加速してくる車両があるから、先頭に近い競技車両の速度であっても先導車の速度と一致しないと主張し、証人乙山及び被告中村もこれに沿う証言・供述をする。また、被告JAF作成の第一事故及び本件事故についての事故調査報告書には、ポールポジシヨン(スターティンググリッド一番)車のロガデータは、コントロールライン通過時に時速一三〇キロメートルであったとの記載がある。
 しかし、上記認定のとおり、スターティンググリッド二番、三番の競技車両は、ほぼ一定のペースで加速していることが認められ、途中で急加速した形跡はないし、本件レース全般のビデオ映像によっても、先導車と上記競技車両との間に顕著な速度差があるとは認められない。また、ポールポジション車の速度については、ロガデータが証拠として提出されておらず、乙A四の記載のみでは上記認定を覆すには足りず、被告らの主張は採用の限りでない。

 オ 五〇〇クラス車のうち先頭集団は、先導車と同様に加速し、隊列を保ったまま、最終コーナーからホームストレートに入り、コナミブリッジを通過した。
 他方、シケイン通過後は競技車両は再び二列になって走行することから、後方の車両になるほど車間距離が開くことになるところ、五〇〇クラス車の後方集団の中には、先頭集団よりも急加速をして、ホームストレートに入るあたりで最高速度(時速一五〇キロメートル前後)に達し、その後は緩やかに減速する競技車両もあった。

 力 路面に水が溜まった状態で競技車両が高速走行すると、車両の高速走行安定装置が水を巻き上げるため、ウォータースクリーンが形成される。このウォータースクリーンは、単に水しぶきが上がっているのとは異なり、水滴が霧状となって空気中にとどまるので、車両が通過してもすぐに消えることはない。また、競技車両の速度が時速一〇〇キロメートルを超えるとウォータースクリーンが激しくなり、極端に視界が悪化する。ウォータースクリーンは、コースに沿って形成されるので、走行中の競技車両から見た場合、直進方向の視界は悪化するが、横方向の視界はそれほど悪化しない。

 キ 先導車以下五〇〇クラス車の先頭集団が最終コーナー付近を通過するころ、三○○クラス車の先頭車両はシケイン付近を通過していた。三〇〇クラス車は、五〇〇クラス車より加速性能が劣るところ、五〇○クラス車が上記のようにシケイン通過後に加速したことから、三〇〇クラス車もこれに追走するため、加速して最終コーナーへと走行した。  三〇〇クラス車がホームストレートに入るころには、ホームストレート上は、五〇○クラス車の巻き上げたウォータースクリーンにより視界が悪化し、前方を走行する車両の車体を視認するのが困難となり、前方車両のテールランプを目安に走行する状況であった。  ホームストレートに入った三〇〇クラス車の中には、加速走行する前方車両に追走して、同様に加速走行するものや、コナミブリッジの信号灯を確認しやすくするため速度を落とすものがあり、ホームストレート上の各競技車両の速度は、時速一三〇キロメートル程度から時速二〇〇キロメートルを超えるものまであり、速度差が大きくなった。

 ク 先導車は、第一コーナーの二〇〇メートル程度手前あたり(シケインからおよそ二〇〇〇メートル進んだ地点)で時速五○キロメートル前後にまで減速した。後続の五〇〇クラス車も先導車に引き続いて減速し、五〇〇クラス車の車間距離は急激に狭くなった。

 ケ 同日午後二時一三分二七秒ころ、砂子車と星野車が接触する第一事故が発生した。証人砂子は、第一事故の状況について、「ホームストレートに入ると、ウォータースクリーンで霧に包まれた状態になった。何も見えない中で一人で走ると危険なので、前の車のテールランプを追いかけながら走行した。コントロールタワーを過ぎたあとで、時速二〇〇キロメートルオーバーになったと思う。信号がはっきりとみえず、スタートかどうか半信半疑だった。ピットエンドの終わりあたりで突然霧が晴れ、五〇〇クラス車の集団が見えたが、霧が晴れたということは、五〇〇クラス車の速度が時速八〇キロメートル程度まで落ちたと考えられる。自分は五〇〇クラス車を避けるため、左に回避行動をとった。雨の降ったホームストレートで急ブレーキをかけるのは危険なので、緩いブレーキをかけたが、前方の星野車のテーブルに追突してしまい、その後、コース左側の側壁に衝突した。」旨証言するところ、上記証言は、〈証拠略〉から認定できる五〇〇クラス車の減速状況、検証の結果などとほぼ一致し、第一事故の上記発生状況は、概ね事実と認められる。

 コ 原告は、シケイン付近を三速ギアで時速五〇キロメートル前後で走行したが、前方を走行する五〇〇クラス車の和田車が、シケインを通過後、強く加速して走行したため、原告もこれに追走して加速した。原告は、アクセルを強く踏み込んで加速したが、和田車に加速性能で劣ることもあって、車間距離が開きがちになり、最終コーナーに入るあたりでギアを四速に上げた。このころの原告車の速度は時速一五〇キロメートル程度であった。
 シケインから最終コーナーにかけては、ウォータースクリーンはなく、前方車両を見通すことができる状態であった。

 サ 原告車がホームストレートに入ると、激しいウォータースクリーンが形成されており、原告は、和田車ほか前方車両の車体が確認できなくなり、かすかに見えるテールランプで和田車の位置や車間距離を判断した。
 原告は、隊列を整えて和田車から遅れずに走行するために、アクセルを全開に近い状態まで踏み込みながら、次第にギアを上げ、最終的にはギアを六速に入れ、和田車と数十メートルの車間距離を保つべく走行した。
 原告車は、シケイン通過時から、少なくともコナミブリッジの一〇〇メートル程度手前までは、常に加速を続け、減速しなかったが、コントロールライン通過時までに、自分より前方の車両を追い越したことはなく、コントロールライン通過時の前車との時間差は一・八秒であった。なお、ホームストレートに入ってから、コントロールラインまではおよそ七〇〇メートルである。

 シ ブリッジ上に設置されたコントロールライン方向を撮影する監視カメラ(C一○)の映像一ピットB棟付近のホームストレートを走行中の競技車両が撮影されている。)によれば、第一事故後、スターティンググリッド二五番の競技車両まではかなり車間距離が開いた状態で走行しているが、その後、スターティンググリッド二六番から三〇番までの五台の車両は一つの集団となって走行しており、同五台の車両は、二六番と二七番の前後関係、二七番と二八番の左右関係、二九番と三〇番の左右関係が入れ替わるなど、隊列に大きな乱れが生じていた。さらにその後、上記五台の集団の後から、原告車がコースのやや左側部分を、時速二〇〇キロメートルを下らない速度で通過した。

 ス 上記五台の集団は、やや減速態勢に入っていたところ、原告は、激しいウォータースクリーンに視界が遮られて、同集団に気付くのが遅れ、同集団との接触を避けるため、一旦はコース右側に回避行動をとろうとして右方向に進行しようとしたが、和田車がいたため直ちに左方向へ進行しようとしたところ、原告車はスピン状態に陥り、同日午後二時一三分三九秒、その右前側部が砂子車の右側部に衝突した(本件事故)。

 セ 原告車と砂子車が激突した瞬間、プリッジの高さを超える巨大な炎が燃え上がった。原告車は、衝突の衝撃で、炎を上げながらコースを横切り、本件事故発生から一二秒後、本件コースイン側に停止した。原告車から脱落したガソリンタンクも、衝突の炎よりはやや小さいがブリッジに届く程度の炎を上げてホームストレート上をコースイン側へ移動した。また、砂子車も炎を上げていた。
 原告車、砂子車、ガソリンタンクの炎は次第に小さくなったが、大量の黒煙が発生して観客スタンドの高さを超えるまでになり、コース上の視界が遮られた。
 原告車が停止した位置は、検証の結果から算定すると、一番ポストから二番ポスト方向へおよそ一六〇・六メートル(以下、距離につき「およそ」を省略する。)となり、砂子車が本件事故後停止した位置は、検証の結果によれば、一番ポストから六四・八メートルとなる。また、一・二番ポストの間隔は三七〇メートルである。

 ソ 本件事故発生から四八秒後(原告車が停止してから二六秒後)、スターティンググリッド三八番の競技車両を運転していた山路は、自ら競技を中断して停車し、オフィシャルよりも先に原告車のもとに駆けつけ、本件コース上に設置してあった消火器を使用して、炎上する原告車に対する消火活動を開始した。本件事故発生から五八秒後(原告車が停止してから三六秒後)には、原告車はほぼ鎮火した。原告車と砂子車の炎が鎮火した後も、黒煙や灰色の煙がしばらく発生していた。

 タ 被告中村は、本件事故による炎上を目撃すると、直ちに一斉放送で全ポストとピットのオフィシャルに赤旗表示を指示した。しかし、被告中村は、本件事故発生後の状況において、競技長や救急委員長が無線で指示を出すと現場が混乱する可能性があると考え、出動現場を個別には指示しなかった。
 ピットA棟緊急車庫に待機していた緊急車両のオフィシャルらは、車庫に備え付けのモニターテレビ(監視カメラではなく、実況中継を流しているもの)で一番ポスト付近で事故が発生したことを知った。その後すぐに、管制から、一番ポスト前方で事故発生との無線が入り、事故現場に向けて出動した。

 チ 本件事故発生から七三秒後(原告車が停止してから五一秒後)、競技車両の隊列の最後尾を追走していたレスキューカーであるフィスコ一三号が原告車のもとに到着した。  本件事故発生から七八秒後(原告車が停止してから五六秒後)、ピットA棟の緊急車庫から出動した破工車(破壊工作車)が原告車のもとに到着した。同じくピットA棟緊急車庫から出動した消火車と救急車は、砂子車の停止した現場へ向かった。
 破工車は、原告車から脱落し炎上しているガソリンタンクの地点で一旦停止した。破工車を運転していた田代久(以下「田代」という。)は、同タンクが燃えているのを見て車両火災だと思いこれを消火しようと降車したが、ガソリンタンクであることがわかるとすぐに破工車に戻り、原告車のもとに向かった。ピットA棟緊急車庫から原告車停止位置までの距離はおよそ四五○メートル程度であり、田代がガソリンタンク付近で停車した時間はおよそ二〇秒である。

 ツ オフィシャルらは、山路の協力を得て原告を原告車から運び出すと、破工車に原告を向せてメディカルセンターへ搬送した。
 なお、ピットB棟緊急車庫にはレッカー車二台が待機していたが、原告車のもとに出動することはなかった。

 テ 本件事故の約一か月半後の平成一〇年六月一五日、被告JAFにより、一九九八年の全日本GT選手権シリーズ第三戦から適用される大会特別規則のスタート手順に関する部分が変更され、フォーメーションラップ中、先導車の最高速度は時速約八○キロメートルと定められ、また、信号灯の緑ランプが点灯し、スタートになった後も、各競技車両はスタートラインを通過するまで追い越しを禁止された。


(2) 本件事故の原因について
 以上に認定した事実によれば、本件事故は、先導車が、フォーメーシヨンラップ中に、シケイン通過後から加速を開始し、コントロールライン付近では時速一五〇キロメートル前後に達する高速で走行しながら、第一コーナー手前で急減速したことによって、原告が、他の競技車両と同様に、視界不良の状態の中で、前方の競技車両に追従するために加速を強いられて相当の高速度に達したことから、第一コーナーの手前での先導車の減速に伴って順次減速を余儀なくされた前方の競技車両との衝突回避が不可能となった結果、発生したものと認めるのが相当である。

  二 被告中村の不法行為責任について
  (1) フォーメーションラップ中の競技車両の安全確保義務違反について
  ア 競技長は、競技車両を所定の順序でスタートラインに進行させ、それを出走させる任務を負い、フォーメーションラップの周回回数などを決定指示する権限を有する一方、競技車両は、フォーメーションラップ中追い越しが禁止され、スターティンググリッドのポジションを守ることが要求されるなど、各自の自由な判断に従った走行が制限されているから、競技長は、競技車両が安全に走行できるよう、天候や路面状況及び競技車両の速度を含む走行状況を的確に把握し、状況に応じて先導車の走行方法及び速度等を適切に指示し、競技車両に危険を生じさせないように先導車を走行させる義務を負うというべきである。

  イ この点、被告中村が、フォーメーションラップ開始五分位前に、先導車のドライバー乙山に対し、丙川を介して、時速六○キロメートル程度で走行するよう無線で指示したこと、先導車が一二番ポスト付近を走行中、丙川を通じて、乙山に対し、フォーメーションラップをもう一周行うことを伝えたことは、前記認定のとおりであるが、被告中村は、フォーメーションラップ開始五分位前、丙川を介して、先導車ドライバーの乙山に対して、フォーメーションラップを五周回程度行う予定であることも告げ、更にフォーメーシヨンラップ中にも、先導車が四番ポスト付近を走行中に、先導車アシスタントからの周回回数確認に対して、複数回周回することを指示し、一二番ポスト通行中に、先導車の速度を時速八〇キロメートルにするよう指示した旨主張し、被告中村の作成した事故報告書(乙A三)、同人の陳述書及び本人尋問における供述には、これに沿う記載及び供述があるほか、先導車ドライバーの証人乙山も、被告中村から上記指示を受けた旨証言する。
 そこで、被告中村の先導車に対する速度及び周回回数の指示の内容等について検討すると、〈証拠略〉によれば、以下の事実が認められる。

  (ア) 本件事故当日の平成一〇年五月三日午後五時三〇分ころから開始された事故後第一回目の記者会見において、被告中村は、記者からの質問に対し、以下の内容の応答をした。

  a 被告中村は、フォーメーションラップを二周行う判断がされた時点を問われたのに対し、スタート五分前の時点で判断し、先導車には最終コーナー付近でもう一周行う指示を出した旨返答した。

  b 被告中村は、先導車の速度が速すぎたのではないかとの質問に対し、路面状況がドライでは時速八〇キロメートル、ウェットでは時速六〇キロメートルを指示しており、自分がコントロールセンター内のモニターで見ていた範囲でも、そのスピードは守られていたと確信しており、先導車のアシスタント(丙川)からそれぐらいのスピードで走ったと報告を受けている旨返答した。

  (イ) 数名の記者は、第一回目の記者会見終了後、本件レースに参加したチームから、先導車の後方の近い位置で走行した五○○クラス車と、先導車から少し離れた位置を走行した五〇〇クラス車のロガデータを入手した。前者のロガデータは、最終コーナー付近の速度が時速約一二〇キロメートル、コントロールライン付近の速度が時速約一五〇キロメートル、後者のロガデー夕は、最終コーナー付近の速度が時速約一七〇キロメートル、コントロールライン付近の速度が時速約一三五キロメートルであった。

  (ウ) 被告中村は、同日午後八時ころから開始された第二回目の記者会見において、ビデオテープを見ながら、このビデオで見ても、先導車の速度が時速八〇キロメートル以上出ているとは思えない旨説明し、記者が上記(イ)のロガデータを示してした先導車の速度に関する質問に対しても、先導車が時速八〇キロメートル以上の速度で走行したことを認めなかった。
 もし、被告中村が、上記各記者会見の数時間前の同日午後二時五分(フォーメーションラップ開始五分前)ころに、丙川を介して、先導車ドライバーに対して、フォーメーションラップを五周回程度行う予定であることを告げ、更にフォーメーションラップ中にも、先導車が四番ポスト付近を走行中に、先導車アシスタントからの周回回数確認に対して、複数回周回することを指示したのであれば、上記記者会見において、フォーメーションラップを五周回程度行うこと、四番ポストでも同様に指示した旨返答してしかるべきであるにもかかわらず、被告中村の返答が上記の限度にとどまっていることに照らすと、周回回数の指示に関する被告中村作成の事故報告書、同被告及び証人乙山の上記供述等は採用することができない。
 また、被告中村は、上記各記者会見において、先導車の速度指示につき、路面状況がドライでは時速八〇キロメートル、ウェットでは時速六〇キロメートルを指示していること、先導車のアシスタント(丙川)からそれぐらいのスピードで走ったと報告を受けていることを述べたにとどまっており、一二番ポスト通行中に、先導車の速度を時速八〇キロメートルにするよう指示した旨発言したとは認められないところ、かかる具体的な指示をしたのであれば、指示後数時間後に行われた記者会見において、その点に触れないことは通常考えがたいから、この点からしても、先導車の速度指示に関する被告中村及び証人乙山の上記供述等は採用することができない。

 ウ 被告中村の先導車の速度に関する認識については、前記認定の本件事故発生前の先導車及び競技車両の走行方法及び速度等の走行状況によれば、被告中村は、上記各記者会見における発言と異なって、先導車が時速八〇キロメートルを超えて走行していたことを認識していたものと認めるのが相当であり(被告中村は、本件訴訟においては、先導車が時速一二〇キロメートルで走行していたことを認識していた旨主張し、本人尋問においても、事後に聞いた情報によるとの限定を付けながらも、同様の供述をしている。)、競技長である中村としては、本件レース時の視界不良の状況下において、先導車がホームストレートを高速で走行した場合、シケイン通過後、ホームストレートに進入しようとする後続の競技車両は、前方の競技車両に追従するために加速を強いられて相当の高速度に達し、スターティンググリッドの位置によっては、前の競技車両の視認が困難となるほど車間距離が開いたままの走行を余儀なくされ、他方で先導車の減速によって、急激に減速を余儀なくされる事態もあり得ることを予見し、かかる事態を回避するため、先導車に減速を指示すべきであったのにこれを怠り、漫然先導車が時速一五〇キロメートルで走行するのを放置した過失があり、この過失と本件事故発生との間には因果関係が認められる。

 エ 仮に、被告中村の本件レースにおける先導車の速度の認識について、同被告が、フオーメーシヨンラップ中、本件レースにおける先導車の速度につき、コントロールセンターのモニター及び直視による先導車の観察を踏まえて、時速八〇キロメートルを超えていないと判断していたとしても、先導車は、シケイン通過後から、ほぼ一定の割合で加速して最終コーナーへ入り、その速度は、ホームストレートに入るあたり(シケインからおよそ七五〇メートル進んだ地点)で時速一二〇キロメートル前後に、コナミブリッジを通過するあたり(シケインからおよそ一五〇〇メートル進んだ地点)で時速一五〇キロメートル前後に達したことは、上記一(1)エで認定したとおりであるから、競技長である被告中村は、後続競技車両が安全に走行できるよう、天候や路面状況及び競技車両の速度を含む走行状況を的確に把握し、状況に応じて先導車の走行方法及び速度等を適切に指示すべきであったのにこれを怠り、コントロールセンターのモニターやホームストレートの先導車の動静を注視していたにもかかわらず、先導車がホームストレートで時速一二〇キロメートルないし一五〇キロメートルの速度であることに気付かず、先導車が適切な速度で走行しているものと軽信して、先導車に減速の指示をしなかった過失があり、この過失に基づき、原告が、先導車に追走している他の競技車両と同様に、視界不良の状態の中で、前方の競技車両に追従するために加速を強いられて相当の高速度に達した結果、前方の競技車両との衝突回避が不可能となって本件事故が発生したものであるから、被告中村の上記過失と本件事故発生との間には因果関係が認められる。

 オ 被告中村、同バイシック及び同レーシングセンターは、本件レース当時、レギュレーション上、先導車の速度に関して規制はなく、先導車のドライバー乙山は、本件コースにおける先導車ドライバーとして一四年もの長期間の経験を有していたから、先導車のドライバーには、その速度調節につき裁量があり、本件レースにおける先導車の速度一同被告らは、最高時速約一二〇キロメートルと主張しているところ、この前提が失当であることは、上記((1)エにおいて認定のとおりである。)は、その裁量の範囲内である旨主張する。
 しかしながら、上記主張は、被告中村が、上記各記者会見で、路面状況がドライでは時速八〇キロメートル、ウェットでは時速六〇キロメートルと指示している旨述べたこと、記者が上記イ(イ)のロガデータを示してした先導車の速度に関する質問に対して、先導車が時速八〇キロメートル以上の速度で走行したことを認めなかったことと全く相反するものであって、被告中村が、本件レース当時、先導車の速度につき、いかなる認識であったのかを疑わせるものである上、ローリングスタートの目的は、エンジンストールのリスクを回避し、競技車両が一団となってスタートが切れるようにすることにあり、競技車両に安全に隊列を整えさせるのが先導車の基本的な任務であって、車内にいる先導車ドライバーよりも、コース各地点の監視カメラの映像を把握できる競技長の方が、より競技車両の隊列の状態を把握可能であることも考慮すると、個々のレースにおいて先導車のドライバーに走行方法及び走行速度を決める裁量が認められるとしても、その裁量の幅は競技長の指示の合理的な範囲内に限られ、かつ、天候や路面状況に応じ、上記目的に反する結果を生じさせない限度にとどまるというべきところ、本件レースにおける先導車の最高時速約一五〇キロメートルという速度は、上記認定のウォータースクリーンによる視界不良が必至の天候・路面状況において、先導車ドライバーの合理的な裁量の範囲を超えるものというべきであるから、この点に関する同被告らの主張は理由がない。
 また、同被告らは、先導車がホームストレートにかけて速度を上げて走行したのは、競技車両の中に、見込みスタートをする者があって、追突される危険があり、また、先導車のすぐ後方の競技車両が直近まで迫っていたからである旨主張するけれども、先導車自身が一定の速度を保って走行することにより、競技車両からの追突を避けることは可能であると解されるから、同被告らの主張は採用の限りでない。

 力 以上によれば、被告中村には、フォーメーションラップ中の競技車両に対する安全確保義務に違反した過失が認められる。


 (2) 消火救護義務違反について
 ア 競技長は、救急委員長と打ち合わせて緊急配備計画を作成し、競技の続行に影響のある重大な事故について管制委員長から報告を受け、判断を下す地位にあるから、事故発生時、緊急に消火救護活動を実行すべき義務を負う。

 イ そこで、本件レースの競技長であった被告中村に、緊急消火救護活動義務違反があったか否か検討する。
 前記のとおり、H項は、一五秒以内の消火要員による消火、三〇秒以内の消火装置による消火を定めているところ、実際に事故が発生した場合に消火救護活動に要する時間は、当該レース場の消火救護設備や、人的・物的配置、事故現場の具体的状況によって左右されるから、H項の定める時間内に消火救護活動ができなかったことをもって直ちに不法行為を構成するということはできず、緊急消火救護活動義務違反の有無は、本件レース場の消火救護態勢を前提に、具体的な事故状況に照らし、消火救護活動が通常必要と判断される時間を超えて遅延したか否かによって決すべきである。

 ウ これを本件についてみるに、上記認定事実によれば、被告中村は、本件事故による炎上を目撃した後、直ちに、一斉放送で全ポストとピットのオフィシャルに赤旗表示を指示したが、本件事故発生後の状況において、競技長や救急委員長が無線で指示を出すと現場が混乱する可能性があると考え、出動現場を個別に指示しなかったこと、競技車両の隊列を追走していた三台のレスキューカーのうち、フィスコ一三号が原告車のもとに、フィスコ一二号及びドクターカーが砂子車のもとに向かったこと、ピットA棟緊急車庫から出動した緊急車両のうち、消火車と救急車は砂子車のもとへ、破工車は、一旦、原告車より脱落したガソリンタンクの場所で停止した後、原告車のもとへ向かったことが認められるところ、砂子車の停止位置が一番ポストから比較的近距離であったことから、ポストオフィシャルの迅速な救助が期待できたことからすれば、被告中村が、ピットA棟・B棟の緊急車庫の車両に原告車のもとに出動するよう指示し、あるいは、ガソリンタンクによる火災の発生と発生場所の情報を提供していれば、原告に対する消火救護活動がより短時間で行われた可能性があったことは否定できない。
 しかしながら、本件事故による炎や黒煙が巨大であったことは前記認定のとおりであり、本件事故発生時の模様を撮影したビデオテープの影像によれば、被告中村において、本件事故による炎上と黒煙の中で管制室のモニターやピットレーンに面したガラス窓からの観察によって原告車・砂子車・ガソリンタンクの状況・位置関係を正確に把握することは困難であったから、車両とガソリンタンクを区別した上で適切な出動場所を指示することが可能であったとするには疑問が残る。そうすると、被告中村が、出動現場を個別に指示せずに、具体的な消火救護活動を、日頃から消火救護の訓練を受けていた消火救急要員(オフィシャル)の配備された現場の判断に任せたことが消火救護活動を通常必要とされる時間を超えて不当に遅延させたとは認められないから、被告中村に消火救護義務違反があったとはいえない。