旧車とAZ−1の比較
では旧車における現状をAZ−1に当てはめるとどのようなことになるだろうか。結論から言うと、今のところAZ−1は非常に理想的な状況にあるといえる。
まず最大の問題点である「連携」である。これについてはインターネットという過去にないインフラを活用することで、このHP上において北海道から沖縄までのオーナーやクラブがたくさん集結することで可能となった。またノウハウに関しても、その連携を土台として、掲示板等で情報提供のあったものを「保守と改造」等で共有化し、多くの人がすぐに引き出せるようになっている。パーツも「剥ぎ取りOFF」が行われたりして、システム化されているとは言えないが、かなり容易に入手できているのではないかと思う。オリジナルパーツの制作にしても、オーナーが集中しているため、あらかじめそれを必要とする人を募集することができ小ロットで実現できる。マイナーな車であるが、各地のOFF会・モータースポーツ活動を通じ、その存在を世間に知らしめ、将来の文化財的価値・ひいてはオーナー自身の価値も高める活動を行っている。さらにAZ−1やCARAに関する資料は、新車発売当時からのものがまだまだたくさん存在している上に、それらの編纂と保存もほぼ終えて貴重な情報の消滅を防いだ。ちなみにAZ−1・CARAにおける情報の収集量・率の高さは、同様の活動を行っている旧車と比較しても現時点で遙かに凌駕しているだろう。
このようにうまくいっている理由は、生産終了後に時間を経ずして全国のオーナーが集結したため「ボタンの掛け違い」が発生しなかったことによるところが大きい。これに関しては皆さん同士が協力しあい、情報やオーナーが一点に集中してこそ初めて成立するものなので、私としても非常に感謝している。
一方、冒頭でこのHPの理想を、「今までの誤った自動車文化を根底から直し、これからの自動車組織のあり方のモデルケースとする」と書いた。皆さんの多大なる協力のおかげで「ボタンの掛け違い」を生じさせることがなく、さらに有意義な活動が行われ、得られたノウハウや情報を体系化・共有化していることを考えると、前半の「今までの誤った自動車文化を根底から直し」という部分は、予断は許さないもののAZ−1の場合ほぼ達成できているのではないかと思う。
問題は次の「これからの自動車組織のあり方のモデルケースとする」という部分である。この点はAZ−1・CARAオーナーの方には関係ないことだと思うが、ここをご覧の他車のオーナーの方は今まで述べてきたことを是非実践し、自分の車のことを次世代に確実に残していってもらいたいと思う。ここをご覧になっている方は、ほとんどの場合がインターネットを利用されているのだと思う。要するに皆さんは今までに無かった環境を手に入れているわけだ。ならば私は言いたい。「ドライブしたり車を並べて喜ぶことしかしないような活動は、これを機会にいい加減に卒業しないか?」。既にこのHPでの活動が証明しているとおり、不可能なことではない。ちなみにAZ−1と同世代の車で考えると、残念ながらロードスターは既に手遅れだろう。情報が分散化しすぎているためだ。ビートもかなり苦しい。しかし、カプチーノはまだ可能性があるし、これ以降に生産された車は「ボタンの掛け違い」とHPの乱立による情報の分散化さえ起こさなければ、順調に進むだろう。最近の車ではプリウスがうまくいっている例と呼べるのではないだろうか。