旧車の犯した過ち
AZ−1のオーナーの中にはたくさんの旧車乗りの方がおられるため、私が旧車のことについてとやかく言うのは、筋違いというか身分不相応と言った方がいいかもしれない。が、「他の角度から見た」ということでご了承願いたい。またこれは、旧車オーナーの方にチェックして頂いた上で、あくまでも一般論・ありがちなことを「ざっくりと」まとめたことである。車種やクラブによっては全く該当しない場合もある。
現在の旧車の犯した最大の過ちは、あまり連携がないままに、多くの個人やクラブ・ショップが単独で存在している点である。その結果、様々な問題が生じることとなった。またこれは、後述の「ボタンの掛け違い」が原因で生じており、修正しようにも既に手遅れになっている。従って次世代にAZ−1を伝えるためにはこの「ボタンの掛け違い」を再現しないことが最大のポイントであると私は考えている。
では、多くのクラブ・個人が単独で存在しあまり連携がないことによって、どのような問題が発生しているのかを考えてみよう。
例えば今まで得られたノウハウが、個人単独やクラブ内でのみ受け継がれてしまい、広く公開されていない点である。旧車といえば、1.すぐ壊れる、2.部品がない、3.数が少ない、の3点が思い浮かぶ。これらの問題は、周囲との連携、ノウハウの明文化と共有・それらを容易に引き出すことのできるシステムの構築、部品手配システムの構築によって、ある程度解決できるはずだ。普通に考えれば至極当然の対策なのだが、旧車の世界ではなぜか未だに構築されていないといっていい状況にある。その結果、様々な問題が発生した。
- 得られたノウハウが明文化されていないため、個人が車を売却・クラブが解散した時点で消滅すること。
- 様々なところで同じようなトラブルが起こっているにもかかわらず、ノウハウが共有化されないため、それぞれが独自の方法で苦労して解決していくという全く無駄な作業を行っていること。
- 欠品パーツは「部品交換会」等で出てくるのをひたすら待ち続けるという、非効率的な宝探しを行っていること。
- トラブルを解決しようとしてショップが対策品を作ったとしても、ショップの常連さんの数が少ないために部品単価が高くなってしまうこと。
- 連携がないため他で売れるかどうかの見込みが判断できず商品化されなかったというものもあるだろう。
これでは発展するどことか、現状維持さえおぼつかない。とても文化的活動とはいえない(考古学的活動とは言えるかもしれない)。しかし、どうしてこんなことになったのだろうか。
ボタンの掛け違い
それは「ボタンの掛け違い」があったためと考えている。ボタンの掛け違いとは「黎明期において明確な方向方針や連携が打ち出せなかったために生じた、ちぐはぐな状態」を指す。ではなぜボタンの掛け違いが生じたのだろうか。そもそもこのボタンの掛け違いとは具体的に言うと何なのか。これを説明するには、高度成長期の日本までさかのぼる必要がある(なんちゅう、大げさな)。
当時の状況を簡単に説明すると、車は実用車としての役割が大きい時代であった。「プラス100ccの余裕」などというコピーで喜んでいたし、つい最近まで車の改造も厳しく制限されていた。高度成長期や1$=\360の時代もあった。
このような時代背景を受けて当時の新車(現在の旧車)はどうなったのか。まず車自体が大量に廃棄された。一部の人を除いて自動車を趣味にする人間の数は少なかった上に、消費は美徳だったのである。次にその車に関わる資料が残らなかった。車が残らないのだから、資料が残るはずがない。円安で外車も買えない時代だから、これも同様である。さらにインフラの問題もあった。情報伝達システムが未発達だったのだ。あるのは固定の黒電話と手紙くらいのものである。Eメールはおろか、携帯、FAX、留守番電話さえなかった。
このような不幸が重なり、当時の新車(現在の旧車)とその資料が各地へ離散することとなった。通信手段が未発達であったため、連携などとれるはずもない。従ってどの車が、どこにあるのかもわからない。その結果、各地に独自のクラブや様々なショップが誕生し、各個に活動を開始した。もちろん方向性はバラバラ。ここでボタンの掛け違いが生じたのである。その結果何が起こったかは前述の通り。多様化するのは結構だが、弊害があまりに多すぎる。
このような書き方をすると、昔の人は何も考えていなかったかのように思われるかもしれないが、そんなことはない。その行為は時代背景上やむを得なかったし、結果については私もとやかく言うつもりはない。しかしである、このような事態を招いた原因とその結果が明確となった以上、旧車の犯した過ちを我々が繰り返すことは全く愚かなことであると言わざるを得ない。少なくとも、稀少車として将来世界中から崇めたて祭られることが約束されているAZ−1やCARAだけは、この過ちを繰り返してはならないと思う。