このHPの目的
これは当初から設定している通りである。「AZ−1の存在をインターネットを使って世界中に知らしめ、かつ、その歴史を編纂し後世に伝える」ことだ。砕けた言い方をすると『みんなで「AZ−1伝説」を作り上げ、その登場人物になろう』ということである。なお「歴史を編纂する」には車の生い立ちはもちろんのこと、我々が行ってきた活動すべてがそれに含まれる。具体的には、AZ−1の改造や保守、モータースポーツでの活動、その他AZ−1に必要・重要な活動である。
このHPの理想
結論から言うと、「上述の目的の達成を通じて、今までの誤った自動車文化を根底から直し、これからの自動車組織のあり方のモデルケースとする」となる。「いや〜、我ながら大きく出たなあ」というのが感想であるが、実は今こそ理想実現のためのチャンスなのだ。これを逃すとその実現は非常に困難となる。ちなみに「文化」の意味を辞書の受け売りで書くと「真理を求め、常に進歩向上を図る活動」である。
なお、ここで言う「今までの誤った自動車文化」とは、自動車が騒音や公害をまき散らして走っている、ということを指しているのではない。単に車を並べて喜んでいるという意味のない活動とか、後述する旧車の犯した過ちを指している。私は、相互連携を深めることを可能とする手段の1つであるインターネットの普及にともない、今までのような活動形態は自らの手で変革すべき時期に来ていると考えている。そうしなければ進歩がない。進歩することが常に正しい・優れているとは思わないが、いつまでたってもこんなことしかしないのであれば、車がかわいそうだ。
「いーじゃん、そんなのどうだって」とか「楽しければ何でもいいんじゃないの」という考え方もあろう。確かに他の車・他のことだったら、私もそうしているかもしれない。しかしである、AZ−1やCARAのオーナーとなってしまった以上、そうは言っていられない。なぜなら、AZ−1やCARAは、稀少車として将来世界中から崇めたて祭られることが約束されている車、極論すれば文化財の卵であるからだ。従って、今あなたの持っているAZ−1は、あなただけのものではない。次の、そのまた次のオーナーの車でもあるのだ。この車を所有した時点で、好むと好まざるとに関わらず、次の世代に伝えていく宿命を背負っている。
では次世代にAZ−1を伝えるためにはいったい何をすればよいのか、そうすることで我々自身にどのようなメリットが出るのか、さらには「今までの誤った自動車文化」の是正にどうむすびつくのかを、20年,30年後のAZ−1の姿を映し出しているであろう現在の旧車のあり方と比較することで考えてみたい。なおここに書いていることは私の考え、即ちこのHPの理想を示すものである。皆さんの思想や行動に制限を加えたり、強制するものではない。もちろん部分的にでも賛同していただければありがたい。