ケーターハムSP/300R、その1

 日本初登場となったケーターハムSP/300R。ケーターハムといえば、スーパーセブンが有名だが、こんな車も作っているのだ。しかもケーターハムとしては20年ぶりの新型車なのだそうだ。が、このままでは公道走行は不可。

 まずは、古(いにしえ)のCカーのような外観をご覧くだされ。



 とはいえ、現代の車のようなデザインをしている部分もある。特にリアのテールランプ周りがそう。



 細かいところは穴だらけ。



 全体を眺めた上で空力のことを考えると、現代のF1のように空力優先のゴテゴテしたカウルが付いていない一方で、昔のCカーよりは進歩しているようにも見える。前頁で紹介したKTM X-BOWと対照的なデザインだ。
 シャシーやミッションはLolaから、エンジンはフォードから供給されている。ボディーはケーターハムらしい。しかし、エンジンはデュラテック。ケーターハムがチューンしたとのことだが、いったい何年前のエンジンを使っているのか・・・
 私のように現代のF1などのデザインが好きでない人には好感が持てる形状といえるが、同時にケーターハムの空力や軽量化に関する技術力はどうなのと思えてくる形状とも言える。見た目もエンジンも、1990年代の最先端技術が今更になって適用されているように感じる(デュラテックは1990年代でも既に終わっている)。20年ぶりの新型車というより、20年前に妄想を開始した車が現在になってようやく市販化へとこぎつけたと表現したほうが適切なのではないかと思えるスペックである。



 経営規模の極小さな会社の技術力は完全に2極分化してしまったようだ。昔はどこもこぢんまりした汚い小屋(失礼)の中で、己の感と経験と度胸にたよって作っていた感があった。それはそれで味があって楽しい車がたくさんあったと思う。今はもうCADだのCFDだのが使いこなせないとどうにもならない。もっとも現在ではそんなことはパソコンで対応可能となったが、ワークステーションを使わないと対応できなかった時代に生じてしまった実力差は埋めがたいのだろう。純技術的観点から見た落ちこぼれ組が、ケーターハム・カーズという会社なのかもしれない。が、そこを逆手にとって「ノスタルジック感」や「手作り感」を全面に押し出している会社がケーターハム・カーズだともいえる。

 ジャガーやアストンマーチン、ミニ(ローバー)等といったイギリスのメジャーブランドは、淘汰されたかすべて海外資本の参加に入った。この現実をみると、「イギリスに自動車文化がある」という言い方には空々しさを覚える。文化があると自負するのなら、なぜ守りきることができなかったのか?? 手作り工程が多い(コンベアー式のラインになっていない)車作りをしていれば、自動車文化があるというのか? 進歩があることが文化ではないのか? こんな状況にもかかわらず「文化だ」と言い張る日本のモータージャーナリズムは何なのか? 疑問は尽きない。
 この状況をもっとわかりやすく例えるなら、日本のマンガやアニメ産業が仮に衰退したとして、昔のコンテンツを世界中で延々と再放送するだけの状況になってもなお「日本のマンガやアニメは文化である」といっているようなものである。これは文化ではなく、世界から認められた遺産でしかない。
 一方、イギリスには少量生産車の認可基準がある。これは、当HPで言うところの自動車文化第二定義、即ち「自動車に関する超法規的既得権益が存在し、それらがステークホルダにもたらすWIN-WINの関係の総称」に該当する。そういう見方をすると、イギリスには自動車文化は残っているとも言える。が、主役である車が自力開発できてこそ、意味のある定義だ。


 ケーターハムの最新式とはいえ、どうしても古さを感じさせてしまうのがタイヤ。とても信じられないことに、13インチなのだ。13インチタイヤの選択肢の少なさに困っている人が多い中、なぜこのサイズを選択したのか・・・推定理由は次頁で。



 次頁からは、内装を中心に見ていく。