感動のゴール、その2

 走り終えた車の前で記念撮影。セパンサーキット自体、24時間耐久をやったのは初めてのこと。オフィシャルの皆さん、そしてエントラントの我々は時代の先駆者となったのだ。「ざまあみろ!」と大声でいいたいのだが、セパンの24時間自体悲しいことにほとんど認知されていないので、吠えたところで誰もなんとも思ってくれない(前述のとおり)。自動車雑誌でもセパンの記事に1ページ割いてくれればいい方。なぜ日本のモータージャーナリズムというのは、大本営発表のような車記事にばかりページを割き、真に面白いことを伝えようとはしないのか。次に続く者を育てようとする、他の人の参考になる(一貫性のある方法論とその実践による定量的な結果の提示)ような記事を書かないのだろう。本質をつかない記事や、根拠を示す数字を導き出すのが大変だから、適当な修飾語で感情的表現となっている内容では読者レベルを下げ、レベルの下がった読者はますます育たなくなる悪循環に陥るだけだ(それを避けるために当HPはいろいろやっている)。







 こちらも全く疲れを見せない杉山さんたち。下準備はエントラント以上に厳しいものだったと聞くので、そのバイタリティーには驚かされる。
 「がんじがらめのレギュレーションで面白味が失われてしまった現状のモータースポーツのあり方に一石を投じるために具体的な行動を起こす」というのが杉山さんの思いの1つだと勝手に解釈している。K4-GPにかける杉山さんたちの方法論や結果をまとめた「Making of K4-GP」のような記事を書いていけば、次に続く者を育てる記事・記録になると思う。雑誌の編集部と御殿場は距離的に近いんだし。記事にしたら、次回のツアー代を安くしてくれると思うよ(ゲロ嘘)。




 最後にオフィシャルのみんなで胴上げ。ばんざ〜い。ばんざ〜い。




 胴上げのあと、24時間走り回ったサーキットに最後の別れを告げるべくパレードランを行った。ドライバーは私。このとき初めてセパンを1周だけさせてもらった。というのも今回もドライバーとしてではなく、メカニック兼役にたたない通訳として参加しただめである。保険がきかないようなリスクは抱え込みたくないタイプなので、パレードランとかファミリー走行みたいなものじゃない限りサーキットは走行しないのだ。太田裁判のような泥沼劇を繰り広げるようなことはしたくないし、そうしないためにはドライバーとして参加しないのが一番なのだ。
 メンバーに同行した女性陣3人を引き連れて、スタンドの前で記念撮影。




 ところでみなさん、24時間耐久におけるプロとアマチュアの差がどれだけあるか想像したことがあるだろうか。今回のセパンでそれが明らかとなった。ル・マンの優勝記録(平均速度や走行距離)をひもとき、今回の優勝チームの記録を比較するとわかるのだ。もっともコースが全然違う(サルテサーキットの方が平均車速は上がる)ので一概には比較できないのだが、記録だけを単純に比較してみる。すると我々の実力はなんと1930年代のレベルだったのだ。プロとアマチュアでは80年近くの差があるのだ。現在の車の性能アップ分と根性を加味すると、1950年代くらいまでの実力は有していると思っていたのだが、そこまで甘くなかった。優勝チームの車は、サーキット走行を見慣れている我々からみてもかなり速かった。1930年代にル・マンでの走りを見た一般の観客は、現在で言うところのF1並の速さで走っていたように感じたのではないだろうか。

 これですべておしまい・・・とはならない。あと片づけがあるのだ。