高射砲群

 もともとこの部分には副砲と同じものがついていたが、兵器の主役が戦艦から戦闘機へと変わってしまったため、防空強化のため高射砲に置き換えられてしまった。高射砲とはいえ、人間の大きさに比べるとやはりデカイ。







 日本が巨艦巨砲主義に走ったのは、日露戦争でバルチック艦隊を破った結果、艦隊決戦こそ戦争の勝敗を決すると考えるようになったことがきっかけだったと言われる。その強烈な成功体験こそが、戦艦から戦闘機への流れの変化に対応出来なかった原因なのだ。戦闘機が戦艦を壊滅させることができるという事を真珠湾で自ら証明していたにも関わらずである。

 当HPで展開される課題解決のための方法論・方向性は世間一般でよく用いられているものと基本的に同一であるため妥当性の高いものだと考える。それ故に今までの自動車趣味では成し得なかった種々のノウハウの蓄積と展開が出来ている。ちなみに最近の旧車でもネットの利用は盛んになったが、残念ながらこれは従来の手紙や電話といった「手段」がインターネットという「手段」にとってかわっただけだ。ノウハウの蓄積と展開による合理的な課題解決を可能とするという、本質的に変化しなければならない部分については大きく改革が進んでいるとは言えない。なぜ彼らが変革できなかったのか、理由は長くなるから書かないけど。
 このように他と比較しても現状でうまくいっていることがわかる。しかし、何か大きな変化があったとき、例えばインターネットに取って代わるようなメディアが出現したとき、今まで当HPが取ってきた方法論をそのまま用いてしまい変化へ対応できないという事態が生じるのではないか。この大和の事例を見ると自省してしまうのである。


 また高射砲に話をもどそう。高射砲をみて思ったこと、それは「砲座の中にエアコンがついてないと暑くてやってられないだろうなあ」ということだった。主砲も含め、中は非常に暑かったのではないだろうか。




 下の写真は、映画撮影中に壊したと思われる被弾跡。




 いよいよ大和の中程、このセットで言えば最後の部分に来てしまった。一番後から前方を撮影した。




 セットから降りて、横からみた大和。