自動車趣味は全てを不幸にする、その覚悟があるか
助手:
タイトルからして、いよいよ本題に入ってきたような感じですね。
教授:
そうじゃ。君はプロ野球の話の最後に「いいじゃないですか、そんなの別に。」と言ったが、それは良くないと言う話をするのじゃ。
助手:
どうしてです? ぱ〜っと、もしくはまったりとやった方が楽しいじゃないですか。
教授:
まったりとしたいのなら、AZ−1を含む趣味の車に乗るのではなく、他の車に乗り換えれば済む事じゃ。それが車にとっても本人にとってもまた家族にとっても結果として一番幸せなんじゃよ。結論から言うとそういうことなんじゃが、まずは君の理由を聞いてみよう。そもそもどういう理由で趣味の車なんかでまったりとしたいんじゃ??
助手:
他の車をみても、みんなまったりとやってるからです。
教授:
やっぱりその程度の理由じゃろ。そういう人は趣味の車なんかに手を出すべきではないよ。
教授:
いいかね。趣味の車というのは、人も荷物も乗れない、旧車ならいつ壊れるかわかない車なんじゃ。そんな車に生半可な気持ちと技量で手をだしてみろ。車はすぐに動かなくなるし、乗り心地が悪いとか言い出してすぐに手放すことになる。買値より売値の方がやすいのが通例なので、大損じゃ。整備してたらけがをするかもしれない、整備が悪かったら他人を傷つけるかもしれない、そういう車なんじゃ。
またこんな車がやってきた日には、家族もたまったもんじゃない。旧車だったら普通の人から見れば単なるボロ車。全長4m、幅1.5mもあるような鉄の塊が、少ないスペースを占有し、車検費用と整備費が家計を圧迫する。人は乗れない、荷物も積めない、家族からするとろくなもんじゃない。
助手:
よくこれだけ悪口いえますねえ。
教授:
悪口ではない、事実じゃよ。続きはまだあるぞ。車を買っても技量がないと維持できない。ショップに丸投げというわけにはいかんからな。エンジンがかからないからといってず〜っと放置すると、ますますかからなくなる。せっかく動いていた車がこれでは台無しじゃ。同類の車のオーナーに迷惑をかけているようなもんじゃ。さらには「レストアする」といって不動車を買い込み莫大な資金を投入したものの結局動かずじまいの車は数多し。不動のまま腐らせて、部品取りにさえならないような状態にまで放置される。本人も家族もそこら辺の歩行者も、同じ車のオーナーに対してもいい迷惑にしかならんのじゃ。結局趣味の車はみーんなを不幸におとしめる。
助手:
不幸になるのなら、どうして趣味の車になんかに手を出すんでしょうかねえ。
教授:
一言で切って捨てると、合理的判断ができないからじゃ。だから判断を誤り、こんな車に手を出してしまうのじゃ。もっと突っ込んでいうと、不合理に加えて次の2つのタイプの人がいることもさらに追い打ちをかけておる。1つは自分が不幸であることに気が付いていない奴、もう1つは自分が不幸であることに快感を覚える奴。ただし、例外はある。
助手:
こういう人たちってどんな感じなんですか。
教授:
本人が幸せだったらそれでもかまわんと思うが、次のような共通項があり一般社会からは不幸だと思われておる。まず未婚の人間があげられるのう。ただ車と結婚しとるという覚悟があるなら、ワシはそれでいいと思うがの。
教授:
あと金がない人も多い。また生活が不規則じゃ。緊急の用もないのに夜遅くまで起きている、だからいつも疲れていて集中力がないというか、いつもうつろというか、覇気がない。そういう男に女は憑かんよ。普通考えたらわかりそうなものじゃが。
助手:
ひょっとすると、これっていわゆる負け犬ですか?
教授:
いや、負け犬の定義は難しいからなんともいえんのう。
教授:
ま、以上のように自動車趣味は全ての人を不幸にするわけじゃな。
助手:
じゃあ趣味の車に乗りたい人はどうすればいいんですか。
教授:
まずは自分も含め周りの人全てを不幸にするかもしれんという覚悟をもつことじゃ。その覚悟のない内に趣味の車に手を出すべきではない。
助手:
それだけ?
教授:
いや、覚悟だけでは足りん。「不退転の決意」なんて言うだけなら簡単じゃろ。それじゃ、いかんのじゃ。周囲を説得できるだけの力を持たねばどうにもならん。説得できるということは、なんでこんな変な車を持たねばならんのか、合理的に説明できねばならぬ。
助手:
簡単に言うとどういうことなんです。
教授:
車を持つための屁理屈をたれろということじゃ。ま、屁理屈じゃろうが何じゃろうが、それが出来ねば周囲は納得せん。結局自動車趣味を始める・続けるには、合理的・冷静に判断することが必要なんじゃ。覚悟も含め、それがないままに自動車趣味を始めるからとんでもないことになるし、長続きもせん。わしが一番鳴らしたい警鐘じゃな。
助手:
でも教授、そんな警告はどの本にも書いてませんよ。
教授:
あったり前じゃ。本を書いている連中は本が売れることで食っておる。モータージャーナリズムという仕事は真実を語ることじゃない、読者に夢を与えることが仕事の上位目的なんじゃ。買えもしないフェラーリなんぞの記事がやたら多いのがその証拠じゃ。読者が引いてしまうような内容を書いたら本が売れなくて食いっぱぐれるじゃないか。そんなこと誰がする?
助手:
ショップもそんな言い方しませんよ。
教授:
もっと当たり前じゃ。悪い言い方をすれば、動かん車売って修理代で儲け、うまい汁を吸い尽くすのがショップじゃからな。彼らも生きていかんとならんのじゃ。
助手:
そんな無茶苦茶な。
教授:
いや、無茶苦茶なのは現状の我々の方かもしれんぞ。人が生きて行くには、他をどうしても傷つけてしまう。肉を食うと言うことは動物を殺すということじゃ。勝ち上がるということは、他人をけ落とすことに他ならん。本もショップもそうしとるだけじゃ。人間みなそういう宿命を背負っておる。にもかかわらず現状の自動車趣味は宿命を受け入れず、ことなかれ主義で何もせずにまったりとするだけ。これは、いやし系ミーティングなんかじゃないよ。宿命から逃げているだけじゃ。やれば出来るのに逃げるだけじゃったら、これは明らかに負け犬じゃ。
助手:
じゃあ、どうやったら合理的・冷静な判断ができるようになるんですか。
教授:
それについては前にもさんざん書いているから、今回はパスじゃ。
教授:
またパスですか。
教授:
そうじゃ。それを始めから書くとなると、とんでもなく膨大な量になるからのう。こんな話を聞いて、君もいい加減うんざりしてきたじゃろう。それ以上疲れたくないじゃろう。
助手:
疲れたところで最後に1つ。教授は周りをどうやって説得したんですか。
教授:
簡単なことじゃよ。「わしの稼いだ金じゃ。それをどう使おうと、わしの自由じゃ」。以上。
助手:
それって単にわがままを押し通しているだけじゃないですか!
教授:
そんなことはない。男の立場からすると、これ以上の正論はないぞ。そうじゃろ。これをベースとして理路整然と説得するのじゃ。
助手:
理解のある奥さんで良かったですねえ。
教授:
他人が自主的に理解してくれるのを待っていても何も進まんよ。理解させるんじゃ。
助手:
そんな恐ろしいことできるわけないじゃないですか。
教授:
それを出来るだけの説得力と実行力がないんじゃあ、趣味の車を持っても仕方ないな。維持できんで、周りを不幸にするだけじゃ。やめときなさい。