ニッポンの教育と自動車趣味
助手:
教授、変化球のタイトルも来るところまで来てしまった感がありますが。
教授:
いやいや、これもまた重要なことじゃ。
助手:
学校の勉強と自動車趣味って、何も関係ないじゃないですか。
教授:
それがあるんじゃよ。自動車趣味を見ていると学校の勉強というよりは生き方の教育に問題があるんじゃないのかと思われる事例がよくある。AZ−1の中でもよくあることなんじゃ。こんな事例は今まで見たことがないのに、たった4000台しかない世界で頻繁に見られる事実を目の当たりにしたとき、わしは教育の重要性というもの認識せざるをえなくなってしもうた。
助手:
何をいきなり変な方向に飛んでるんですか。
教授:
代表的な2例をあげよう。1つは「文句ばかり言う奴」、もう1例は「的確な現状認識のできないやつ」じゃ。
助手:
文句ばかり言う奴、これは先ほどから出てきていますよね。
教授:
そうじゃ。何の対案も、その対案によって予測される効果も推定せずに、文句ばかり言う奴じゃ。おかげでこの人と話をするとき、何も話が前に進まなくて困ったよ。毎度毎度「なんで俺の言うことがわからないんだ」で終わってしまった。文句を言うことが意見を言うことだと思っとるんじゃな、この人は。
助手:
で結局その人の意見とやらを聞いたのですか?
教授:
聞くも聞かないも、対案と予測効果、その実行のための計画系を述べないんだから理解しようがない。具体的に言えといったら、例のごとく相手がブチ切れておしまい。ちょっと失敗したのじゃが、「具体的に言え」というのではなく「対案を述べろ」と言い返した方がより的確だったと後になって思った。
助手:
こんなんばかりで教授もやってられませんねえ。
教授:
まあ、こういう人間は母集団が増えてくるとある一定の確率で必ず存在する。だからやむを得んと思うよ。それは覚悟の上じゃ。
助手:
ところで教育の話はいったい・・・
教授:
そうじゃった。ニッポンの教育じゃが、前々から言われておるのが「詰め込み教育」ではなく「考える力を育てる」ことへの転換じゃ。しかし、これでは物足りない。考える力が身に付いた人間の悪い面は、文句しか言わなくなることじゃ。よく考えるからこそ、悪いところがみえてくるんじゃろうな。しかし本当に必要なことは、考えたことを実行し結果を出し、出た結果をよりよくなるよう修正する力なのじゃ。このプロセスが回せるようになることで対案も出せるようになる。例えば「自分は昔こうやった、その結果こうなった、だから今回もこうなることが予測されるので、自分の考えの方が妥当性がある」とかいえるようになるわけじゃ。これで初めて物事をよりよくする議論が進むというもんじゃ。このプロセスの回せない・回さない人間が自動車趣味にいるのが嘆かわしい。運転免許は18才からとれるので、これが回せないのは学校教育の問題じゃな。
助手:
もう1例はなんでしょう。
教授:
的確に現状認識のできないやつの話じゃな。
助手:
現状把握とはなんですか。
教授:
今自分が進もうとしている方向に対し、どのような状況に置かれているかを把握することじゃ。まともな方向に進むためにはこれが欠かせない。しかしな、信じられないような奴がいたんじゃよ。物理系は想定できたが、これはもう想定外。驚いた。
助手:
何があったんですか。
教授:
自分の目で見て直接確認したことよりも、非建設的な文句を信じるやつが結構いたんじゃ。
助手:
信じるって??
教授:
現状認識力がないほどひどい状態じゃから、当然「これこれこういうことです」なんて反論ができる実力がないし、非建設的意見は相手にするだけ馬鹿馬鹿しいと無視する事もできない。よって非建設的な文句を信じる。簡単に言えばこういうことじゃ。
助手:
幻覚でもみてたんですかねえ。
教授:
いや、幻覚とは実際には生じていないことを実際に起こっているように錯覚することじゃ。これは一応自分が誤認したことを信じているということなので、救いがある。ところが自分の意識がはっきりしていたときに体験したことすら信じられない人間がいるんじゃよ。理解を超越しとる。
助手:
そういう人ってどうなるんですか。
教授:
もう車どころか、人生ぼろぼろじゃ。的確な現状把握ができていないので、うまくいかないのは当然といえば当然の結果ではあるが。自分で直接確認していないから人の話を信じるというのなら理解できるんじゃが・・・
そうじゃ、せっかくの機会なんで、君が冷静で的確な現状把握が出来ているかどうかテストしてやろう。
助手:
どんなテストですか。
教授:
簡単なテストじゃ。君は遠山の金さんを知っておるかね。
助手:
もちろん、24時間勧善懲悪のような人ですよね。弱きを助け、悪を暴いて成敗する。
教授:
じゃあ君は、遠山の金さんは正義の味方じゃというのじゃな。
助手:
そうです。
教授:
じゃあ、君は冷静で的確な現状把握が出来ているとは言い難いかもしれんな。
助手:
どうしてですか??
教授:
遠山の金さんは、稀代まれにみる独裁者なんじゃよ。南町奉行所、即ち現在の東京都知事である金さんは、遊び人の金さんとして悪をあばき、手下にしょっ引かせて自分が裁判を行う。いわば、この時点で東京都知事が警察官になり検察官になり裁判官になるようなものじゃ。それで終いには桜吹雪を見せて、裁判官自らが証拠物件になる。そんなアホな話があるか。勧善懲悪という感情に流されず冷静に現状把握をするとはこういうことじゃ。
助手:
私には、教授が単にひねくれた見方をしているだけにしか思えません。
教授:
ま、ヨタ話はともかく、的確な現状把握の仕方を教えていない教育に問題があるんじゃろうなあ。
助手:
教授、教授も「問題があるんじゃろうなあ」なんて文句ばっかり言ってないで、対案を出してくださいよ。
教授:
それについてここで述べると論点がぼけるので中止じゃ。ただOB会を通じて、後輩の発展のため出来る限りのことはやっとるつもりじゃ。
助手:
あ、逃げた!
教授:
以上2つの例をあげたが、こういう人が自動車趣味の世界にはびこっていたらどうなると思うかね。
助手:
何も進まないでしょうね。
教授:
そうじゃろ。実はな、人には「人材」と「人在」と「人災(じんざい)」がおる。人材とは成果を出せる人、人在とはただいるだけの人、人災はいない方がいい人。上記2例は人災じゃな。先ほどのオリンピックの話でも出たが、発展するには人災を淘汰することも重要なんじゃ。裾野が広がるということは優秀な人が集まってくる反面、人災もたくさん集まってくる。人災は優秀な人の足を引っ張り、有益な意見が上がってこなくなる。メンバーから上がってくるアイディアに頼るような組織運営をするクラブなんかは致命的じゃ。能力のないメンバーからアイディアが上がるわけがないからなあ。
助手:
でも淘汰したらいろいろと協力してくれる人の数が少なくなりませんか。
教授:
実力のある人こそ、協力を得るのにふさわしい人材じゃ。闇雲に人がたくさんいればいいというもんじゃない。淘汰なしで協力してくれる人を集めると、協力してくれる人の間で不協和音が広がり、協力どころか足を引っ張られることになる。裁判でもよく国に対して集団訴訟を起こすことがあるじゃろう。こういう裁判って長引くことが多い。仲間割れしだすからじゃ。国もその点をよく心得ておってな、控訴してわざと長引かせる。そうすると原告が勝手に内部崩壊して、一審では国が不利でも最終的には国に有利な判決の出る確率が高まるんじゃ。
助手:
じゃあ、どうやって淘汰したんですか。
教授:
まあ、いろいろやった。おかげでブチ切れていなくなった。おかげで感情的にならず、合理的・建設的な話のできる実行力のある連中に集約でき、大いなる発展をとげることができたよ。
助手:
喧嘩別れですか。あまり良くないやり方ですねえ。
教授:
道理のわからん連中じゃ、残念じゃがやむを得まい。
教授:
ただ文句を言うだけ、現状把握が的確にできない人間にだけはならぬように。そうでなければ自動車趣味のみならず、私生活でもぼろぼろになるよ。文句を言うだけの人間に終わるのか、文句を言われても何かを成し遂げようとする人間になるか、君はどちらを選ぶかね。