オリンピックと自動車趣味

助手: 去年は野球のどたばたで盛り上がりましたが、アテネオリンピックもすごかったですねえ。

教授: 時差もあるアウエーであの金メダル数はすごかったのう。しかし数だけで言うと残念ながら他の国には及んでおらん。

教授: 他の国と一体何が違うんですかねえ。

教授: 決定的に違うのは人口の違いじゃ。人口が多いと裾野が広くなる。裾野が広くなると優秀な人間が存在する確率が高まる。すると金メダルを取れる確率が高まるというわけじゃ。あとは思想。共産主義国家が活躍したのは、マルクスレーニン主義は正しいなどといった、結果的にはウソでもみんなをまとめられるだけの方便があったからじゃ。

助手: なるほど。

教授: しかしな、これだけじゃあだめなんじゃ。優秀な人間をかき集め、競争させ、より優秀な人材に絞り込むシステムが必要なんじゃ。

助手: いよいよタイトルのオリンピックと自動車趣味の関係について触れることになるんですね。

教授: そうじゃ。自動車趣味もオリンピックと同じこと。これはオリンピックでなくてもどの世界でも同じこと。優秀な人材をかき集め、より優秀な人材に集約するシステム両方を備えることではじめて発展する。ところが現在の自動車趣味のシステムでは敷居を下げて裾野を広げることはできても、優秀な人材に絞り込むことができんし、自動車趣味にはびこる事なかれ主義、仲良しクラブ主義によって血を流さないとできないことに取り組もうとせん。その結果、一部の優秀な人間に対し、多くのそうでない人たちが集まるという構造となっとる。すると、そうでない人たちが足を引っ張って前に進まなくなるんじゃ。

助手: もっと言うと?

教授: 例えば仲良しクラブになってしもうたら、「あの人が好き・嫌い」が組織を結びつける絆になる。これでは嫌いになったら終わりじゃ。陰口の言い合い合戦になったりしてろくな事がない。個々人の嗜好の違いを乗り越え、「車をどうしていくか」とか「互いにメリットがある」という切り口で自動車趣味の組織を結びつける絆にせんとうまくいかんし長続きせん。もっと言うと、組織のメンバーにはお互いのメリットを見つけだせるだけの能力も必要じゃ。





助手: 裾野が広い例、狭い例って何があるんですか。

教授: 比較対象として面白いのはロードスターとAZ−1かの。理由は次の3つ。同じマツダの車であること、初代のロードスターはAZ−1と同じ主査が作った車であること、ロードスターは名車にして生産台数が非常に多いのに対し、AZ−1は極めて少ないことじゃ。ロードスターの数が多いということは、裾野が広いことを意味する。逆にAZ−1は裾野が狭い。ロードスターはそろそろ20周年を迎える。三次でやった10周年のミーティングには行った。この10年でロードスターがどれだけ進歩したか、興味深いのう。是非この目で確かめたい。少なくともAZ−1はこの10年で大きな進歩を遂げた。裾野が狭くても優秀な人材と集約するシステムがあれば進歩するということじゃ。裾野が広いと優秀な人材が存在する確率は高まるが、本当にそれでうまくいくのか確かめたい。

助手: そこまで言い切るAZ−1が発展した実績と理由は何ですか?

教授: 実績はAZ−1に関する膨大な情報の集積じゃ。これだけの情報が詰まっている車はあまり例がない。発展の理由は優秀な人材への集約が進んだ事じゃ。これにより冷静かつ合理的になり、話が前に進むようになった。その結果、より多くの情報が集まり互いのメリットも出てくるし、どうでもいいようなおしゃべりがなくなるという好循環もうまれた。こういう好循環をめざすのはどの世界でも同じ。しかし、自動車趣味の世界ではこれがなかなか根付かんのじゃのう。

助手: どうして根付かないんですかねえ。

教授: 情報の共有化を互いのメリットとして感じない連中が多いからかもしれんのう。「走って気持ちいい・楽しい」とか「あいつは好きだ・嫌いだ」というような切り口のみで進めるようじゃあ根付かんよ。

教授: そんなことを言って。また敵を作りますよ。

教授: 道理のわからん人間にいちいちレベルを合わせたり仲良くしたりしても何も進まんよ。対案と予測されるメリットを言うことなく、文句しか言わないような人間のいうことをいちいち気にしてもしょうがない。よってそういう連中は敵でも何でもないよ。この分別をつけることができるかどうかが、私生活も含めてまともな営みができる人間かそうでない人間かの第一の分かれ道になっているような気がするのう、少なくとも自動車趣味の世界をみてみると。プロ野球の改革も、結果わけのわからんファンに振り回されて失敗したようなもんじゃ。君もよくよく気をつけるべき部分じゃ。