2シーター乗りに存在する構造的な無理解の壁

 最初に「第4段階・第5段階を目指すためのツール」=概念構成能力について述べたが、実は2シーター乗りは構造的な問題があり、そのツールを持っている人と持っていない人に極端に分かれる。中間があまりおらず、中間の人=極めて合理的な判断の出来る人は通常RV車とかHB、セダンに乗っている。なぜこのように分かれるのか。それは合理的に考えてみれば答えは自ずと出てくる。

 2シーターは二人しか乗れない。荷物も積めない。同じ税金、同じガソリン代、同じ駐車場代をはらって、なぜ二人しか乗れずに荷物も積めない車に乗るのか。「第4段階・第5段階を目指すためのツール」を持ち合わせている人からすると、2シーターを選択するわけがないのだ。実際、近年はRVやセダン、ハッチバック系の車ばかりが売れており、2シーターとはいわず、2ドア車でさえ売れていない。当然といえば当然の結果である。にもかかわらず、我々は2シーターに乗っている。「そりゃスポーツカーは走りがいいから・・・」という答えもあるだろうが、最近はSUVもあり走りは改善されている。選択の理由としては乏しい。AZ−1に限って言えば、軽で排気量が小さく、ホイールベースもトレッドも短ければ走りの面でも選択する理由は通常見つからない。10年以上前の軽自動車ごときに100万円以上かけるなどまともではない。こう考えていくと我々は絶対にあり得ない選択をしたのだ(ではなぜこんな車を作ったのかという話はおいておこう)。
 ここに2シーター乗りに存在する構造的な無理解の壁が出てくる。つまり、これだけ不利な状況にあるにもかかわらずあえてAZ−1を買うだけの理由を明確に持っている人と、そんな理由なんか毛頭なかった人との壁である。この理由を我々は大義名分といい世間では屁理屈と呼ぶわけだが、その大義名分を構築できるだけのすごい概念構成能力を持ち合わせた人と、何も考えてなくて単にAZ−1を選んだ人にはものすごい差がある。
 両極端に分かれるとはいえ、中間地点にいるひとも存在する。それは「AZ−1が好きだから」というかなり消極的な理由で買った人だ。こういう人はレベルアップするか、それとも堕落の一途をたどるかのボーダーライン上にある。しかし「好きこそものの上手なれ」という言葉もある。好きだからこそ上を目指せる。よって上にあがれる素養は十分にある。上を目指し、欲求の第4・第5段階に到達することでより大きい達成感・喜び・満足感を味わうことができるようになるのか、単にメシを味わうだけで終わるのか、それはあなた次第だ。上がるためのツールについては既に紹介しているので活用して欲しい。

 無理解の壁についてとりあえず説明したことを踏まえ、今までのまとめと今後の方向性について次頁以降で述べる。