smartはスマートか?その1

 日本でスマートというと「ほっそりとした」という意味で用いられる。しかしアメリカ英語では「smart」とは「賢い」という意味になるのだ。従って「He is smart.」というと、彼はほっそりとしているではなく、彼は賢いとなる。smartは本当に「賢い」車なのか。AZ−1と比較しながら検証してみよう。




smartの概要
 全長2.56m。AZ−1よりも1mも短い車体に、598cc・55psのインタークーラーターボエンジンを搭載。2シーターでアウターパネルはAZ−1と同じくプラスチック製。原寸大プラモデルはAZ−1以外にもあったのだ。価格も130万円とかなり安くなっている。



 外観もそうだがインテリアもご覧の通りカラフルである。メーター回りもビートルと同様に半円形のスタイルになっている。




 話は変わるが、このsmartはかなり実験的な車である。二人しか乗ることのできないコミューター。このような市場がどのくらいあるのか、自動車メーカーはその動向を注視していたに違いない。なぜならば、「2シーターでもかまわない」という市場があるとするならば、これからの車作りがかなり楽になるからだ。現在の車は両立させることが難しい関係にある様々な問題の解決に直面している。高出力で低燃費・低エミッション、軽い車重で頑丈なボディー。おまけにエアバックをはじめとする様々な安全装置をつけろだの(コスト・重量が増える)、コストを下げても品質は上げろだの、ガソリンではなく電気等の他の動力源で動かせだの、4人のせて荷物も積めるようにしろだのと言われ、これらの条件を満足するような車へ仕上げるのに四苦八苦している。それが「二人乗りで荷物がそこそこ積めることができれば文句は言わない」という市場があるのならば、先ほどの問題点が一気に解決できる。リアシートが無くなることで、コストアップと重量増加が抑えられるのでエンジンも小型化でき、さらなる軽量化を進めることができる。軽量化すれば燃費は良くなるし、エミッションもすくなくなる。一方で後席のスペースやラゲッジスペースを新しい動力源を置くスペース(例えば燃料電池など)としても利用できるのだから、現状からの飛躍的な技術革新がなくても燃料電池自動車を量産販売することも可能だ。この市場はおいしい。

 しかしsmartの売れ行きを見る限り、そのような市場は存在しなかった、もしくはそのような市場ができるにはまだ早すぎた、と言わざるを得ない。なぜsmartは売れなかったのか。私はスマートを運転したことがないので、以下に述べることは全て推定となるが、AZ−1と比較することでその原因が明らかになってくる。