ACコブラ

 これまた本物なのかレプリカなのかよくわからん車の登場である。ACコブラだ。



 「このグラマスなデザイン、車というものはこうでなければ・・・」という沖(兄)さんの話しを、うんうんとうなずくしかない私。しっかし、この手の車を見ていつも思うのだが、車の技術は進歩しても車のデザインは退化していっているようにしか思えない。去年もモーターショーがあったが「なんじゃこれは」というのがほとんど。ショーカーだから目立った方がいいのだが、こういう風に目立ってしまっては元も子もない。
 ただ、現在のデザインでもすごい点が1つだけある。デザインという感性の世界なのに、世界中で車のデザインのベクトルがあっているのだ。どいういうことかというと、同じ様なデザインの車が同じ様な時期に出来るということだ。
 例えば、鼻の穴のようなライトのついた車がある。ソアラとCR-Xデルソルとキャロルである。はっきり言って、キャロル以外は格好悪い。格好悪いにも関わらず、同時期に出てしまったのである。他にもランティスのセダンについている三角形をしたかっちょ悪いテールランプ。同じ様なデザインのものが、同時期に発売されたのベンツとセドリック(だったかな)にある。これらの例は他の車をパクったから出来たのではない。なぜならば車のデザインは7〜10年前くらいから検討されるので、パクることはできないのである。ということは、世界中のメーカーのデザイナーが、「これはかっこいい」と思って、もしくはこれが将来の車のデザインの主流になると思ってデザインして、ものの見事に同時期に出てしまったと言うことである。これが純粋な技術の話しならわかる。過去と現在の性能の改善率から将来の性能をなんとか予測することが出来るからだ。



純粋な技術ならば、過去の実績から将来をなんとか予測することが出来るが、
数値化できないデザインの世界では、将来の予測は困難を極める。

 しかしデザインはそれができない(数値化できないため)にもかかわらず、純粋な技術でも難しい長期的な予測がちゃんとできているのだ。これは予知能力にも近い驚異的なことだ。
 先ほどデザインは退化しているのではないかと書いたが、これだけのすばらしい能力があるのである。素人考えでは、デザインの方向性をほんのちょっとなんとかするだけで、すばらしいものが出来そうな感じがするのだが・・・それがなぜできないんだろう。