これがクラタの工場だ






 2階部分にAZ−1を作ったラインがあるというクラタの工場。普通はドアなどを作っているが、完成車を作ってみたかったのだという。そこで引いた貧乏くじがAZ−1の生産。AZ−1で行ったら「こいつのおかげでひどい目にあったんだよ!」と塩をまかれるかと思いきや、あたたかく迎えられたそうだ。
 なぜ塩をまかれても不思議はないのか。それはAZ−1があまりに売れなかったためである。そのためクラタは大赤字で、マツダが1億円(だったかな)補償金を出したということまで起きている。またAZ−1が生産中止になったころ、広島の周りではリストラされた(もしくは依願退職した)人が結構いて、私自身「昔この車を作ってたんだよ」と2回ほど声をかけられたことがあった。そのうちの一人は高速道路のサービスエリアで竹輪を焼いていたし、もう一人はパーキングの案内・・・今でこそ稀少絶版車としての地位を確立しつつあるAZ−1だが、その陰にはこのようなつらい思いでも込められているのだ。