マツダ、幻のテストコース??、その2

 このテストコースの不可解さは、短命で終わったこと以外にもある。その価値が理解できない点だ。
 この写真は1966年5月に撮影されたもの。例のオーバルコースができた時に一緒に撮影された写真だが、矢印で示すように既にテストコースができている。このコースは現在も使われており、最初に紹介した人馬一体講座で使われたコースでもある。



 時期に注目すると、さらに不可解な点が見えてくる。三次のテストコースができたのが、1965年だった。つまり、上の写真で示すような簡単なテストコースはもちろん、本格的な周回路を持ったコースが既に完成していたのである。もっといえば、三次のテストコースの建設計画は前々からあったはずなので、このオーバルコースの位置づけが、ますますわからなくなってくる。なお三次のテストコースに関する国土変遷アーカイブでの空中写真は存在しない。着工すらされていないときの写真、そして完成後の写真しか存在しておらず、工事中の写真がないのだ。


 コースの存在意義も疑問だが、コース自体も極めて不思議な変化をたどっている事がわかる。下の写真の矢印部分をよく見ると・・・

1.オーバルコースは2本あったらしい。
2.写真上の北側のコース上には工場らしき物ができてしまったため、寸断されている。
3.その上、壁までできている。
4.結果、もう1本コースをつくらざるを得なくなった。が、これも短命に終わっている。



 という感じで、極めて不思議なテストコース??なのだ。そもそも何のためのコースなのか根本的な点が未解決であるが、1枚の写真のおかげでかなりの謎は解けた。

 次回は、「物作り博覧会」の様子を紹介する。