マツダ、幻のテストコース??、その1
私は趣味で昔の航空写真を見て、現在の衛星写真と比較するのが大好きである。「過去と現在の比較から、将来の世界平和のために尽力するすべを独自に調査する」といったような壮大なテーマを持って見ているわけではなく、単なる下手の横好きでしかない。よく利用するのが、国土変遷アーカイブ。戦前の写真なども見ることができる。
当然地元の写真もよく見るのだが、マツダの工場が写っている写真の中に不可解な道路が写っており、前々から気になっていた。その不可解な道路とは、テストコースと思われるものだ。が、不可解なのは、突然出現し突然消えたこと、テストコースとしての意味や価値がわからないことだった。
このような思いを抱いていたところ、今回の写真展で私の目を釘付けにした1枚があった。それは、幻のテストコースを斜め上から撮影した写真である。オーバルコースみたいな物がわかるだろうか。
この写真ではじめてわかったのは、コーナー部分にバンクが付いていなかった点だ。航空写真ではこの点がはっきりしなかった。
上の写真にはさらに不可解な部分もあるのだが、それは追って紹介するとして、航空写真を見てみよう。
1962年5月に撮影された写真。ここに写っている土地は、元々マツダの土地ではなく、原爆投下前から存在した紡績会社の土地である。上の写真で煙突等が写っている工場群があるが、これはマツダが建てた工場ではなく、紡績会社が建てた物だ。
台形状をした道のような物が見える。これが何であるかは不明。さらに古い航空写真をみると、紡績会社が作ったわけでは無さそうだ。テストコースにしてはいびつである。
1966年11月に撮影された写真。例のオーバルコースが出現する。航空写真だけでははっきりとしたことが言えなかったが、一番上の写真をみると、まず間違いなくテストコースだということがわかる。
ところがである。1969年5月に撮影された写真を見ると、オーバルコース上に工場がたってしまい、完全に使えなくなってしまっている。
その後、下半分のオーバル部にも工場が建ち、現在はコースの痕跡を確認することさえできなくなっている。極短期間しか使われなかったコースなのだ。
次頁では、さらなる不可解な点を見ていく。