明治時代から戦後少しまでの工場の外観

 1911年(明治44年)に撮影されたという写真。場所は現在の南区青崎1丁目付近とのこと。マツダ(東洋コルク工業)の操業が1920年であることから、工場がたつ前はこんな感じの塩田であったと思われる。また後で紹介するが、写真右の山を覚えておいて欲しい。



 こちらは「広島 松田製作所」とある。東洋コルク工業との関係はよくわからない。1917年に撮影されたから、少なくともマツダ創業前の写真である。写真の場所は南区堀越3丁目付近とのことで、現在は日本製鋼所の工場がある。建物や橋の配置などが昔と余り変わらない点に驚かされる。



 変わって戦後の写真。1950年頃と思われる。矢印部分に川があるが、この川は現在も存在する。ずら〜っと並ぶ三角屋根の工場は、「F工場」と呼ばれる工場に建て替えられ、そのF工場もまた使われなくなり、2016年時点で取り壊されようとしている。



 この写真で着目して欲しいのが、背景にある山の位置。下の2枚の写真に写っている山は同じものと考えられる。となると、塩田だった場所に確かに工場が建った証拠とも言える。



 矢印部分に変電所が見えるが、これも現存している。



 次頁では、1950年頃から近年に至る本社建屋の写真を中心に見ていく。