MS-9外観

 センティアの兄弟車、MS-9。アンフィニで売られていた車だ。外観はセンティアとうり二つで、異なるのはマークぐらいといった有様。





 デザイン優先の曲面を多用した車。バブル期の車は本当に綺麗な車が多かった。AZ−1のように、奇天烈な車も多かったが。



 デザイン優先のため、犠牲となった点もある。最も有名なのが、トランクにゴルフバッグがたくさん積めなかったという点。ケツが丸く、さらにトランクリッドが絞り込まれ、悪いことにトランクの中に燃料タンクがはみ出していたので、トランク容量が犠牲となってしまった。ゴルフ場が乱立したバブル期では、致命的欠点の1つだった。



 もう一点注目したいのがヘッドライト。レンズが黄変していないのだ。聞いたところ、一度新品に交換し、新品交換後は黄変しないよう紫外線劣化防止剤を塗りまくっているとこのこと。レンズがガラスであるAZ−1では心配する必要のない問題だが、プラスチックレンズ化された車が旧車になっていくことを考える上では大きな問題だ。



 というのも、一部の車を除いて、レンズが黄変してもレンズのみ交換できないためだ。これは、ヘッドライトはレンズと一体化されていることが原因である。なぜ一体化させる必要があるかというと、防水のため。完璧に防水しないとヘッドライトが水滴だらけになったり、静電気でヘッドライトのレンズ内側にゴミがたくさんひっついたりする。
 一体化によって発生した大きな問題は、ヘッドライトユニットの価格が上がったこと。仮に中古車として売ろうとすると、黄変したヘッドライトでは非常に安っぽく見えるため、見栄えが悪い。交換しようとすると、2つで10万円はするため、商売にならない。実際、中古車屋が車を廃車にするかどうかを決定する基準の1つは、ヘッドライトの黄変だというのだ。エンジンや他の外装に問題がなくてもである。
 こんなことが理由でどんどん廃車にされたら、バブル期以降の車には、旧車と呼ばれるものが存在しなくなる可能性がある。しかも最近の車は「エアバッグが展開したら即廃車」という構造をしているため、その傾向がますます強まる。
 こう考えると、ガラス製レンズでありエアバッグも付いていないAZ−1は、旧車として育てられる最後の世代の車なのだとつくづく思う。


 次頁では、内装を見ていく。