マキF101、その3 & なぜこうも同じ失敗を繰り返すのか??

 貴重なマキ関連資料を紹介しよう。まずはスペック。








 次に紹介するのがプレスリリース。内容を他車のプレスリリースと比較すると実に興味深い。詳細は後述するとして、まずは見ていただこう。








 この手の企画展を交通科学館が連続してやってくれたおかげで明らかになったのだが、マキといいコジマ(現在はパワーボートの世界で活躍中)といい、会社としては存続している童夢といい、発足当時はすごい大風呂敷を広げておきながら結局は短期間にとん挫している点が共通している。プレスリリースの表現が非常に前向きな点も共通している(童夢のプレスリリースはこちら)。もちろん前頁で紹介した通り、マキと童夢にはつながっている部分があるし、負ける前提でプロジェクトを立ち上げる人はいないので同じようなスタンスというかノリになってもおかしくはないといえばそれまでだが、結果的に過去の教訓が全くと言っていいほど生かされていないこの状況は、いったい何なのだろうか??
 「大変な苦労をして復活できてよかったねえ」というのが一般的な見方と思うが、自動車趣味に漬かった上で一連の企画展を連続してみていると、疑問のウエイトが高くなる。また他山の石とすべしと解釈してしまう。


 マキのプレスリリースの最初の一文を超訳すると、「エネルギッシュな日本の若い奴らが勢いだけで集まってマキエンジニアリングの中核をなした」となる。
 次のパラグラフも超訳すると、「マキエンジニアリングの主目的は、新しいパワープラントとエネルギーソースの研究開発であり、それを行う場としてF1を選んだ」となる。ちなみになぜ超訳しているかというと、このリリースに使われている単語には現在の自動車関連の英文にはあまり使われないものが混ざっているため真意がよく分からないからだ。例えばpowerplantとあるが、現在では自動車の世界でほとんど使われない(別の単語との組み合わせで使うことはある)。power trainのつもりで使っているのか、エンジンとミッションが別メーカーなのでpower trainとは切り分けて使っているのか、はたまたあえてpowerplantという言葉を使ってpower trainとは別のニュアンスを持たせようとしているのかよくわからないので超訳とした。
 最後の画像の一番最初の文。「これは短期のプロジェクトではない」と書いておきながら、極短命に終わっている点も共通している。


 「高すぎる理想は、理想自体を潰す」ということか。それとも、勢いだけで乗り切れると本気で思っていたのだろうか。所詮は、カネ(スポンサー)の切れ目は縁の切れ目ということなのだろうか。
 さんざん挑戦した挙げ句、二度も同じような失敗を繰り返したのは残念だ。もっと別の才覚(例えば将来に対する明確な展望とそれを具体化できる能力、全体を見渡して利害を調整できる能力、予算を取ってくる=費用対効果を説明できる能力)も持ち合わせた人がいれば、日本のモータースポーツやコンストラクターは今とは違った道を辿ったかもしれない。非常に逆説的な言い方をすると、そんな能力を持っている人間は、自動車会社へ行ってしまったのだろう。今でこそ参戦していないが、ホンダはF1で、マツダはルマンで、スバルはWRCで長期間活動していたのだから。



 ここから先はAZ−1の話である。ご存知の通り、展示されているAZ−1はK4-GPセパン24時間を走った車である。主催者のマッド杉山さんは、マキやコジマ、ムーンクラフトが走っていた時代に現役ばりばりだった人だ。K4-GP等の主催は本当に大変だと思うが、この時代の・勢いだけで乗り切ろうとしていたノリを知っているからこそ、あのバイタリティーで主催できるのだろうと、今回の企画展を見て納得してしまったのであった。

 またマキはこの展示状態で3次元スキャナにてスキャンされた。各部の採寸をするためである。どのような結果になったかはまた2010年の何らかの企画で開示されると思うのだが、AZ−1的には現状での測定コストと精度を知りたいところだ。というのも、最初から各部品のデータ(寸法等)がきちんと用意され、誰にでも見れるような形にしておけば、さんざん探して後からレストアするというような大変な努力をしないで済むためだ。今までの企画展で見てきた車たちや他の旧車における過去の教訓を生かすことで、既に我々はその準備は出来ている。あとは測定コストと精度の問題を残すだけである。

 「AZ−1には歴史がない・・・しかし将来を見据えた準備と才覚をオーナー達が持っているからこそ未来が明るいのだ」(マキ F101のロンドンでの記者発表の言葉をなぞらえたもの)と記して、この企画展本編のレポートを終えたい。