果たして納本できたのか!?

 南口から入ろうとすると、人を見れば泥棒と思えという目つきをした玄関前の警備の人にまず用件を聞かれた。

「本日はどんな御用ですか?」。

 そんなもん、図書館に用があったから来たんじゃないか。テロリストが「テロを起こしに来ました」なんて言うか? 警備上、用件を伺うことが仕事とはいえ、全くの愚問である。例えば「どの部門に御用ですか」と聞くのだったら意味をなすが。



 カウンターで入場許可をもらって地下の納本場所に降りた。すると職員全員ひっきりなしに納本手続きを行っている。というのも1日で数千冊の本が自動的に国会図書館に送られてくるからだ。
 で、係りの人を呼び止めて、納本手続きに入った。「これ納本します、寄付です」




 すると係りの人が、同じ本が納本されていないかチェックをかけるという。そんなもん、こっちで既にチェック済みだが・・・あろうことか、既に納本されているという。その証拠がこれだ。




 なんと、国会図書館に登録されているこの本のタイトルは「ニューモデル速報」なのだ。「AZ−1のすべて」ではないのである。オマケに第116弾までは、「モーターファン」として登録されていることもわかった。こんなタイトルの付け方では、日本のどこかにいる人がAZ−1に関する書籍を調べようとしても絶対に検索にひっかからない。検索してひっかからないのだったら、情報として無意味である。せっかく収集した本が全く役に立たない。車の名前がタイトルになっている本はたくさんあるが、実は誰にも予期できない本の名前に改変されて登録されているものがたくさんあるのではないか。
 職員総出で納本作業をしていて大変だなあと思ったが、消えた年金問題と同じで、いい加減なタイトルの付け方をしていたわけだ。「モーターファン別冊 ニューモデル速報 第124弾 AUTOZAM AZ−1のすべて」が、どう考えても正しいタイトルだろう。忙しそうにしつつも、結果として手を抜いて仕事をしているとしか思えない。



 なんでこの本のタイトルが「ニューモデル速報」なのか理解に苦しむ。右上隅の小さな文字をタイトルにするなんて。ちなみに過去に発行された非常に古いニューモデル速報を調べてみると、「ニューモデル速報」の文字は小さかった。この部分をタイトルとして選択する理由は、過去に遡っても無いのである。
 しかし、だぶりがないことをチェックした係員は、この本を一瞥するだけでタイトルを「ニューモデル速報」だと判断した。つまり、どうでもいい箇所をタイトルにすることが、代々の国会図書館職員の共通認識になっているといえる。警備員共々、なんか感覚がおかしくないか??




 というわけで、すごすご引き下がった・・・・国会図書館でAZ−1関連資料が閲覧されることは、偶然を除いて無いものと考えられる。他の車でも同様の状況と考えられる。これでは情報の蓄積というより、単に本を収納しているだけである。「国家レベルでの情報の蓄積」とは、「活用できる情報の蓄積」と同義だと考えていたのだが、情報を活用できるようにするには我々自身で情報を収集・整理・発信していくしか有効な手段はないと認識を新たにした次第だ。ついでにいうと、印刷媒体は情報源としてどうにもこうにも使えない。以上、終了。