ランボルギーニ ミウラ・イオタ

 これ、事故により焼失したイオタのレプリカとして、ランボルギーニ自らが作ったミウラ・イオタ。




 見よ、この横置きV12。横置き直3とは訳がちがうね。




 12気筒もあったらデスビはどうなるんだ、といったらご覧のとおりである。言葉を失うすごさ。12気筒もあったら、1気筒や2気筒死んでいても普通に走っている分にはパワーダウンに気が付かないそうだ。




 イオタの特徴である、フェンダーに開いた穴。これ、マンガでみると黒く塗りつぶしてあるだけで、何するものかよくわからなかったのだが、エアのアウトレットだ。




 一本のワイパーアームに2本のブレードがついているワイパー。カッコええ〜。AZ−1もやりたい。バス用のワイパーを改造してできないものか??




 次の三枚の写真をよく見ていただこう。黒いフレームが、前から後ろから全身穴だらけである。もちろん軽量化を図るための物だが、ここまで露骨に穴が開いている車も少ないのではないか。というのも、この手の車にはパイプフレームにFRPを貼り付けた車が多いからだ。ここまで徹底的にされると気合いを感じずにはいられない。






 この車、エンジンをかけるとどんな音がするのだろう。当イベントではエンジンはかけなかったのだが、別のイベントでこの車の音を聞く企画があった。この様子については後日レポートするのでお楽しみに。


 この車のシャシーNoは4990で、ハイチのホテル経営者がファーストオーナー。その後、ハイチを独裁的に支配していた大統領の手に渡り、さらにその大統領がフランスへと亡命したため車もフランスへ・・・で、1996年に日本へとお鉢が回ってきたのだそうだ。
 この手の車には「数奇な運命をたどる」とかいう表現が多い。その方が名車としての箔が付くみたいなところがあるが、本来ならば覚悟をもったオーナーが所有し、適切な管理と社会への還元を行い、数奇な運命をだどらせるべきではないはずだ(還元の過程で収益を上げるのは大いに結構)。現状では、翻弄された数奇な運命について語ること・知識として暗記することが「自動車文化をやっている」(←変な言い方)みたいなところがあるが、当HPからすると、これは断じて文化ではない。受験の詰め込み教育と同じである。得られた知識を相互に還元しあって活用し、車を通じて有形無形の財産を作り上げることが自動車文化である。



 話がイオタから離れてしまうが、つい最近自動車文化を語った雑誌が出版された。それは自動車技術会誌。これ、社団法人 自動車技術会という日本有数の会員数を誇る歴とした学会が発行している学術誌である。なお出版業界を含む自動車関連産業において、自動車技術会を超える学術的権威は日本には存在しない(←と書いてあげたよ^_^)。




 Vol.61 No.3の特集記事には「将来のモビリティーと自動車文化」と題していろいろな人が語っているのだが、残念ながら大半がインフラ整備に関するもので、「我々がイメージする文化」に関わるものはごく少数。とどめは編集後記で「自動車文化を特集のテーマとしてかかえておきながら、自動車文化とは何なのか理解できていない」と書いてある。考えれば考えるほど・車にまつわる様々な背景も取り込めば取り込むほどまとめようがなくなってしまい、「自動車文化」とは具体的に何なのか分からなくなったのだろう。




 だからこそ、言ったもの勝ちで再度定義しよう。

得られた知識を相互に還元しあって活用し、車を通じて有形無形の財産を作り上げることが自動車文化である

と。もっと簡単に言うと「実践あるのみ」となる。「車の歴史の丸暗記」ではない。この定義の妥当性が高いとするならば、AZ−1はその実践者でありたいものである。自動車技術会誌では、この切り口で自動車文化を論じたものはなかったし、だからこそまとまらなかったのではないかと思う。なぜ論じられなかったかというと、執筆者達が自動車作りに深く根ざしているからだ。彼らにとっては、どんな技術を開発したか・どんな車を作ってレースに勝ってきたか等、車やインフラを作ってきた彼ら自身の生き方の編纂が文化そのものであって、作った車がオーナーの手にわたりどのように使われ、どんな財産を作り上げてきたかまでは文化の範疇に入っていないということである。
 よくよく考えてみると、車の開発期間よりもオーナーの所有期間の方が長いため、また開発に携わった人間の数よりもオーナーの数の方が多いため、車を語る上では「オーナーのありかた」の方がむしろよりウエイトが高いはずである。どんな技術を開発したか・どんな車を作ってレースに勝ってきたかという出来事は、50年も100年も続くであろう趣味の車の歴史の中では小枝の一本・葉っぱの一枚の話に過ぎない。その小さな領域のみ自動車技術会誌でクローズアップした上に、車にまつわる様々な背景まで抱き合わせたため無理が出てしまい、「何かまとまりがないんだよなあ・・・」、「何か1つ肝心なことが抜けてるような気がするんだよなあ・・・」的な内容になり、自動車文化とは何なのか分かったような分からないようなことになったと考える。
 一方でオーナー側にも否はある。人の褌の歴史を暗記し我がことのように語る方が、自分の手で何かをはじめるよりよっぽど楽だから、主体的に財産と言えるものを作ってこなかった面がある。オーナーが財産を作らないのだから、その点について書こうとしても書けなかった。だから技術開発の歴史の言及に終始した・・・。このことについては長くなるので別の機会に紹介することにしよう。