戦艦大和が語りかける自動車趣味

 ミュージアムには、大和の性能をCGで紹介するコーナーもあった。







 最後は、大和で培った技術は現在の技術開発の礎となったと締めくくられている。そう締めくくらなければ、死んでいった人たちが浮かばれない。



 あとは呉にある、大和の技術が生かされた企業の紹介。こちらはご存じIHI。AZ−1のタービンもIHI製だ。




 ミュージアムには、「戦艦大和の最期」に記されている有名な一節が記載されていた。これは無駄死に覚悟の特攻作戦で、自分たちの死はいったい何のためになるのかを目的地であった沖縄へ向かう最中に議論し続けて出てきた結論だという。



 進歩のない者は決して勝たない 負けて目覚めることが最上の道だ
  日本は進歩ということを軽んじすぎた
   私的な潔癖や徳義にこだわって、本当の進歩を忘れていた

 敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか
  今目覚めずしていつ救われるか 俺達はその先導になるのだ
   日本の新生にさきがけて散る まさに本望じゃないか


 曲解だと言われるかもしれないが、現在の自動車趣味とどうしても重なってしまう部分がある。それは「私的な潔癖や徳義にこだわって、本当の進歩を忘れていた」という行だ。

 当HPにも昔いたのだが、些細なことで「失礼だ、失礼だ」という人がいた。もうこうなったら何も進まない。課題を解決し、よりよい方向へ進む手段を検討すべきなのに、「失礼か、そうでないか」という全く本質とはかけ離れたところで話がストップしてしまうためだ。こういう話の止め方がいかに誤ったものであるか、60年前から分かっていたのである。後でなんとなくわかったのだが、課題解決のための事例として紹介した他車とAZ−1との状況比較を行う事自体、彼らにとっては失礼な行為と映るらしい。私的な潔癖や徳義にこだわって、ベンチマークさえ否定するのであれば進歩しない。「AZ−1の状況と比較すると、ここがまずいので、こういう解決策をとればいいんじゃないでしょうか。ちなみにAZ−1ではこのような結果になったので、うまくいくと思います。」というような答え方をする訓練なり経験を、話す方も聞く方も積んだことがないため、建設的な話=相手もしくは他の何かと比較せざるを得ない話=失礼な話となったり、話を端折って抜き落とした部分を読みとることができず、真意が伝わらないのだろう。
 あれから数年、彼らに進歩はあったのだろうか。



 というわけでこれでおしまい。が、1/10スケールの大和で驚いてはいけない。なんと広島には1/1スケールの大和、つまり原寸大戦艦大和の模型が存在するのだ。もう車とは何の関係もなくなってしまうが、次回は原寸大大和について紹介する。