フォード・コルチナ、その1

 チケウイの蒜山でのミーティングで初めてみたコルチナ。それが広島にもあるとは思わなかった。蒜山のはロータス・コルチナだったが、こちらはフォード・コルチナのロータス仕様だ。






 内部をみせてもらった。旧車ではよくあることだが、インパネが割れているのが残念。割れる箇所は、インパネに貼りつけてある塩ビであり、インパネ本体(芯の部分)が割れることはほとんどない。そういう点ではPP打ちっ放しのAZ−1のインパネに割れが生じる事はないと思うので少し安心だ。

 助手席に子供の足が写っているが、この子が結構車に詳しくて、AZ−1の形を見ただけで、エンジンがリアにあることを当ててしまった。これはリアにエンジンがあることを知っていたからこう答えたのではない。今まで自分の得た知識と、車の構造から判断したのだ。
 旧車乗りによくあることなのだが、みんな車のことをよく知っている。車種、構造、歴史等々。が、知っているだけで自分の持っている知識をどう生かすか、知識をもとにして具体的に何をするのかまで手が回っていない。それに対し、この子供の場合は、エンジン搭載位置の判断に生かした。この歳でこれだけできれば十分だろう。
 旧車や趣味の車のオーナーは得ている知識を活用するという能力が残念ながら不十分である傾向にある。例えば単にだらだら集まるだけでいったい何がしたいのかよくわからない、ということが散見される。集まりは知識を生かす場となり得るが、生かそうとしない。なぜ生かそうとしないのか、それは問題意識が欠如していること、問題意識を高める訓練を受けていない人が旧車に濃縮される傾向にあるためだ。なぜそのような傾向にあるかというと、ちゃんとした訓練を受けている人なら、車を選ぶ際にはまず損得勘定を始めるため、いつ壊れるかわからない旧車なんかは選択肢からはずれるためである。従って知識の生かせない人が旧車に濃縮され、結果何も前に進まなくなり停滞・マンネリ化する。AZ−1では絶対避けたい人的資源の悪循環である。もしAZ−1や旧車を含め趣味の車に乗るのなら、損得勘定をした上で、損だと分かっていてもこの車に乗らなければならない理由が明確になっている人にこそ乗ってもらいたいものだと思う。そういう人の集合体でないと何も前に進まなくなる。
 だからこそこういう見所のある子供には、自動車趣味の良い面・悪い面をどんどん経験させて、自分なりの考えと実行力を持った芯のある人間に成長し、次世代の自動車趣味を引っ張っていってもらいたいと思う。




 エンジンはロータスのツインカム。