今後のロードマップ

 人、モノ、金、情報についての本HPとしての整備の流れについて述べる。そもそもなぜ旧車がうまくいかなかったのかは、この4要素のマネジメントが理想的に機能しなかったためである。人についてはスキルの高い人と低い人の寄り集まりだったため、低い側にレベルを合わせたことから向上心・進歩・発展が阻害された。モノ(部品や車)と情報に関しては、低いレベルに合わせた段階で、整備することができない状態に自らを追いやった。「金」については会費徴収を行ったが、金を取ると金の使い道に決議なり同意が必要となる。ところが幽霊会員が増えた場合かれらの1票をどう取り扱うかが問題となり話が進まなくなる。とはいえ金がないと何もできないのも事実。そのジレンマがあり、たとえばモノや情報の整備に有効活用できていない。ぶっちゃけた話、マネジメントが機能しなかった以前に、車を持つことに対する明確な理由をもっていないから誰も前に進もうとしなかったということである。
 では本HPではどうするか、今後のロードマップを示していく。なおいつまでに何をするかという期限が明確にできればいいのだが、その予測がつけにくいためここでは割愛する。

 まず「金」についてだが、会費を徴収しているわけではないため存在しないし、将来的にも何らかの会費に該当するものを徴収する予定はないためここでは論じない。そもそも「金」が存在しないことで前述のジレンマを解決し成長・進歩できるモデルケースとしたいのが本HPであるから、会費などの徴収はしない。

 次に情報であるが、これに関しては皆さんより寄せられた膨大な情報をすでに集積している。当然今後も集積を続ける。欠点といえば検索しにくいことなのだが・・・これについては使う側でなんとか対処してほしい。正直、情報の収集と発信で手一杯であり、収集した情報の整理にまで手が回らないというのが現実である。また引き続き、各種ミーティングにおいて見られた今後の参考となる改造やドレスアップ、各種ミーティングでの問題点と我々はどうするべきかという対応策案についても発信し、希少絶版車全体のレベルアップに貢献したい。もっとも、受け手にレベルアップの意識がなければどうしようもないし、それがあるんだったら現在の旧車はもっとまともになっていたはずだ。つまり、こんなことをやること自体が無駄なことなのかもしれないが、まともな人がいることを信じてどうしてもやらずにはいられない。自動車趣味がこんなにも、こんなにもアホなことに終始してよかろうはずがない。

 モノに関しては、AZ−1の部品収集を継続中である。これらは保守用の部品としてだけでなく、将来の自主再生産のための原型となる。今年より実行を開始するものに、溶接前の内板部品購入がある。これを原型にして板金・複製してもらい、欠品となった場合でも容易に対応できるようにするのだ。将来的には3次元スキャナでスキャンしデータを公開、データをマシンにインプットすることでパコパコと自動的に板金してくれるような機械が出てきてくれればいいなあと思っている。他にも電子顕微鏡などを使った長距離走行部品のミクロレベルでの解析とその結果より予測される部品耐久性・欠品時の部品再生の優先順位付け、他社互換部品検討についても引き続き検討を行っていく。

 以上3項目については、現状を維持していくということである。最後となってしまった「人」についてだが、「人」の面の整備についてはかなり長文になる。
 今回、スキルがどうのこうのと人に関する問題について多く取り上げてきた。それには理由がある。突拍子もない話なのだが、大学の独立行政法人化と関係があるのだ。その変革にもまれて鍛えられた人材を取り込むことが本HPにおける「人」の面での整備となる。
 (国立)大学の独立行政法人化とは、平たく言えば「成果=金の儲かる・人の役に立つ話につなげる研究のできないやつには金はやらん」ということである。従来の大学は「研究のための研究」みたいな部分がたくさんあって、その成果をどこに生かすのかが明確になっていないものがたくさんあった。それでも国から予算をもらって目的のはっきりしない研究を続けていた。もちろん続けてきた人にも言い分はある。今は無駄かも知れないが将来役に立つかもしれないし、そういう事例はいくらでもあると。確かに現段階で役に立たないと断言することは誰もできない。完成していないから証明できないためである。が、「ちゃんとできて検証した結果、やっぱり意味がなかったことが証明できました」では遅すぎる。この部分にようやくメスがはいった。自動車でたとえるなら、道路公団の民営化と無駄な高速道路の建設中止である。
 その結果どうなると予測されるかまた実際にどうなっているかを述べる前に、今まではどうだったかを述べる。まず目的がないからドライビングフォースが働かない。目的がないから納期もない。だから研究が進まない。それは使われる側の学生にも影響を与えていた。研究目的が見出せない・だらだらやる・気合が入らない。で、私もそうだったのだが(爆)、「今まで受験勉強をやってきたのだから、大学ぐらいで息抜きしないと人生やってられない。だから大学とは遊ぶところだ」くらいにしか思っていなかった。こういうことがあいまって、研究は進まなかった。しかし、大学での研究が教育の一環であるならば、こんなことがあっていいはずがない(もう修了したからいえるんだけどね)。  では現在はどうか。不況も手伝って自分の時代では考えられないほど勉強している人は勉強している。大学に行きながら各種資格取得の専門学校に通っているダブルスクールがいい例である。これに加えて独立行政法人化である。成果を出すためにはどうするか。その1つの手段が、本稿でいうところの欲求の第4、第5段階へのツールである。この方法では、独創的なアイディア・新規な発見を生み出すことは難しい。しかし独創的アイディア・新規な発見が出たとして、アイディアや発見を現実化しニーズと結びつける、即ち成果とするには有効な手法でもある。さらに効率よく成果を出すにはどうするか。それは企業と手を組んで、いわゆる「産学官」の研究推進を行うことである。ますます鍛えられる機会が増える。
 こんなことをやっているのは大学だけではない。高校もそうだ。実はたまたま母校のHPに行ったことがあるのだが、なんと学校紹介に「経営理念」が書いてあった。公立でだよ公立。「教育理念」の間違いじゃないかと思ったのだが、そうではなかった。あとはビジョンだのミッションだの設定して企業と同じ。国立大学○百人以上合格とかいう数値目標(保護者に対する公約ですな)まであった。高校の時点でこんな鍛え方をするのかと心底驚いた。

 以上のようなプロセスを経て、ちゃんとやっている学生は欲求の第4、第5段階へのツールを曲がりなりにも身につけることができる。実際のところ最近の新入社員をみると実感する。悪く言えば成果第一主義・合理主義みたいな連中がこれからどんどん出てくる。若い段階からどんどん鍛えられている。
 そんな彼らが自動車趣味の現状を見たらどう判断するだろうか・・・前述のとおり、同じ税金・同じガソリン代をはらって人も荷物も積めない車に乗るなどまともではない。なんでこんな車を買わねばならないのか理由が明確になっていない。やることといえば、集まってメシ食うこと。車の販売台数の推移をみると、10年前と比較して2ドア車の台数は極端に減っている。奇しくもこの推移は、学生のダブルスクール化・大学の変革の流れと負に相関している(正確なところをいうと、バブルの崩壊の影響の方が大きい)。こんな状況で興味をもてというのが無理な話である。
 しかし後継者がいなくなれば自動車趣味は廃れてしまうわけで、我々としては看過できない流れでもある。よって、優秀な彼らが「バカじゃなかろうか」と思わせないようにし、いかに違和感なく入ってこれるようにするかが本HPにおける「人」の面の短期的な重点課題となる。逆に「バカじゃなかろうか」と考えもしない人間がたくさん入ってくるとレベルはどんどん下がる一方でレベルアップのチャンスはなくなるため、これも同時に防いでいく必要もある。もちろん現オーナーである我々もより一層の努力していく必要もある。これはAZ−1のみならず、趣味の車すべてにいえることだ。
 繰り返しの補足になるが、こういうことを書くと「俺をバカにしている!」とか言い出す人が出てきて私も情けなくなってくるのだが、だれもあなたを名指しもしくは容易に類推できる形で引き合いに出しているわけでもなく、スキルの低い人は来るなといっているのでもない。もし低いとご自身で判断されるのなら、レベルアップするよう努力してほしいと言っている。またBBQするのが楽しいというのであれば、RV車に乗ったほうが荷物がたくさんつめるのでよっぽど楽しいし非常に合理的で賢明・順当な判断ですよ、とも言っている。またスキルが低いからその人の人生が全てダメ、と言っているのでもない。リストラされ苦境に立たされたときはじめて真価を発揮する人もいるだろう。しかし、現状ではあやふやなバクチに賭けるわけにはいかないのだ。


 話を元に戻すが、彼らが入りやすくするためにはどうするか。それは彼らが持っているスキルに当HPが合わせることがもっとも簡単であろう。つまり「バカじゃなかろうか」と思わせない理由付けが存在することと、自己実現の機会が十分に与えられるようにすることである。ただし、全ての人に賛同してもらえるとは思っていない。琴線に触れるごく一部の人でいい。彼らこそふさわしいし、希少絶版車というものは、本来そういう人たちが乗るべき車なのではないだろうか。前振りがやたらと長くなってしまったが、要するに、なんでこんな面倒なことをしなければならないのか、ということを説明したかったわけである。


 そんな彼らに私が声をかけるとしたら以下のとおり。あくまでも私からなんで、人によって主張は違うと思うが。


 以上、今回もまたやたらと長くなってしまった。総文字数約1万4千字、原稿用紙35枚分である。これって書く私のほうは大したことないのだが、読んでいる皆さんは本当に大変だと思う。ほんとうにありがとうございました。