本日のネタ、その2

 面白い本を紹介したい。リンドバーグでたまたま見つけたと言ってもいい本である。本当のところは、リンドバーグのHPでチェックはしていたが、買う優先順位の低い本だった。その本の名前は「クラッシックカー入門」。




 「別にT型フォード(のレプリカ)を買う予定はないんで・・・」と考えていたので優先順位が低かったのだが、手にとってみて驚いた。なんと本の始まりが「現状分析」から入っているではないか。それだけではない、「イギリスの基準」とかの線引き(定義)まである。まあ、これは他の分野では当たり前の最低限の話の進め方なのだが、趣味の自動車の世界では非常に珍しい(後述)。




 とまあべたほめ状態なのだが、中に書かれている内容はこのHPで主張していることと全く逆というものも少なくない。しかし、それは筆者が自らの長年の経験と実践を通じて出した結論であるので尊重すべきものである。どの点が異なるか、どちらが妥当だと思うか、それは皆さんが読んでのお楽しみということにしておこう。



 「クラッシックカー入門」が発売されたのは04年の1月終わり。それと時をほぼ同じくして発売された全く対照的な雑誌の特集があった。特集のタイトルは「なぜ、クルマの進歩は人を幸福にしないんだろう」。




 本論に入る前にまず言いたい。「なんちゅう主体性のないタイトル!」。今の自動車趣味がだめな理由はこのタイトルに凝縮されているようにも思える。水前寺清子の歌う365歩のマーチでは「♪幸せは〜 歩いて来ない だ〜から 歩いていくんだね」。まさにその通り。来ないものは来ない。車は機械だから幸福など感じるはずはない。感じるのは人間である。従って人間自身が幸せとは何かを主体的に設定しそれを追求し、その方法論を論じない限り、幸せなど感じられるようになるはずがない。なのにこのタイトル。いわゆる一つの長島語で言うところの「ビューティフルでプリティー」な表現で記事にするとこうなるといういい見本だろう。
 ま、それはいいとして、もっと根元的な問題がこの特集にはある。「幸せ」の定義(人によっていろいろ変化して可)が全く設定されていないままに、話が進んでいるのだ。現代の一般社会では考えられないような、めちゃくちゃな進め方である。これで答え(幸せへの達成度合い・未達だとしてもどこまで感じられるか等)が出るはずもない。読んでみても実際の所なにも答えらしいものが書かれていない。こんな記事になってしまうのは、執筆者側に問題があるのかそれとも編集とのコミュニケーションが悪いから的確なものにならないのか・・・他の自動車雑誌の記事でもそうだが、このような変な話の進め方がまかり通る自動車雑誌のあり方こそが、今までず〜っと自動車趣味をだめにしているように思える。こんな答えの出ない話の進め方ばかりしていて、どうしてニッポンの自動車趣味は夜明けを迎えることができようか。

 この前の一般教書演説でも触れたが、やはり時を同じくして04年の4月より国立大学が独立法人となった。いささか遅きに失した感もあるが、この変化を言い換えると「結果の出ないやつには金はやらん」ということである。自動車趣味以外の領域では、とうの昔から結果第一主義が強まっている。もちろん、次の自動車趣味の世代を担う人たちは、このような厳しい環境の中で鍛えられているし、その競争を通じて、上述の「クラッシックカー入門」のような話の進め方を身につけ、結果の出し方を訓練し勝ち上がってきている。彼らがこの記事を読んだら、いったいどう感じるだろうか。内容はわからなくても、構造をみれば一目瞭然。自動車に興味のある人ほど失望するのではないか。逆に、これを読んで何も疑問に感じない人が自動車趣味を始めるのであれば、いつまでたってもダメなままである。それだけはなんとしても避けたい。
 「じゃあ、おまえはそのために何やってるんだ?」という疑問については、このHPの活動を通じ随所で述べているため省略する。