さあ、最高裁判決解釈に挑戦してみよう

 難しい話はこの辺にしておいて、ここからは思いっきり笑える(下ネタ系)裁判ネタで頭をリフレッシュしよう。「恐怖を過ぎると笑いになる」というが、「難しいも度を超えると笑いになる」のだ。国家権力と日本の英知の粋が下した臨界点を味わって欲しい。ここでは、(株)有斐閣刊「憲法判例百選1」より引用・抜粋する。



「四畳半襖の下張」事件

<事実の概要>(抜粋)
 被告人X、Yは永井荷風(←有名な作家)作といわれる、懐古文体で男女の情交を描写した戯作「四畳半襖の下張」を雑誌「面白半分」(←本当にこういう雑誌があった)に掲載したことを理由に、刑法175条のわいせつ文書販売罪に問われた。
 第一審判決は「チャタレー婦人の恋人」事件最高裁判決で示された「性行為非公然性」の原則に基づき、右原則を侵す性的文書の規制が憲法21条に適合すると判示し、さらに刑法175条にいう「わいせつ」の意義、文書のわいせつ性の判断方法についても従来の最高裁の見解を踏襲して、当該文書のわいせつ性を認めた。・・・・


<判旨>
 わいせつ文書の出版を刑法175条で処罰しても憲法21条に違反しないことは「チャタレー」事件、「悪徳の栄え」事件最高裁判決の趣旨に徴し明らかである。
 刑法175条の構成要件は不明確であるということはできないから憲法31条違反にはあたらない。
 なお、文書のわいせつ性の判断にあたっては・・・・・・これ以上は、最高裁判決文自体が非常に猥褻な表現に満ちあふれているので自主規制とする(爆)。






 ここからは掲載されている<解説>を紹介していくが、あまりに長いので味のある部分を抜粋する。そのため、前後関係がよく分からない部分もあるが、勢いで読んで欲しい。

 ・・・・・しかし、本件では端的な春本類またはそれに近接する文書の判断基準の設定、裁判官の判断に委ねられていた「超社会的社会通念」(←なんですか、これは)から社会の現実体に基礎をおく「現実的社会通念」への転換、それにともなう「超社会的社会通念」の中核をなす「性行為非公然性」の原則の解体などの諸点をふまえ、「わいせつ」概念を再構成する課題が手つかずのまま残された。・・・

 市川注) 要するに、海外のエロサイトにアクセスすればモロ画像を簡単に見ることができるため、日本でいくら規制をかけても「性行為非公然性」が現実として保てなくなったということである。



 こうした課題へのひとつの対応策を示すものとして、ビニール本事件の伊藤補足意見がある。右意見は、文書・図画のわいせつ性を判断するにあたり、ハード・コア・ポルノと準ハード・コア・ポルノの区別が有益であるとする。ハード・コア・ポルノは社会的に無価値であるから憲法上の保証の範囲外であるのに対し、準ハード・コア・ポルノはある程度社会的価値をもつものもあり、それには憲法上の保護が及ぶ、という。そして準ハード・コア・ポルノがわいせつ物にあわるか否かは「社会通念に照らして、ハード・コア・ポルノに準ずるいやらしさをもつ」か否かによって決定され、そこでの判断基準は「当該性表現によってもたらされる害悪の程度と右作品の有する社会的価値との利益較量」に求められる。なお右衡量にあたっては、作品が政治的学問的な意思芸術的価値を有する場合は特に慎重な衡量が必要であり、又、社会通念は社会変化に合わせて柔軟に解すべきであると、「性行為非公然性」の原則を却ける見解が示されている。・・・



 何らかの線引きを行わなければならない仕事のため、無理矢理こじつけようとしている点とその理屈に味がある。猥褻か猥褻でないかは憲法で保証されている表現の自由に関わる問題であるため、必ず最高裁まで持ち込まれる。そのためこの手の裁判が非常に多い。難しい司法試験をクリアしさらにその頂点に立つ最高裁の人々が、実は毎日のようにエロ本を読みあさって屁理屈をこねていると思うと、人生って面白いなあ。