雑誌に掲載されないのは、方向性が違うためではないのか?
雑誌に掲載されないとは、KC's ストリートでボツとなった原稿のことを指している(下記参照)。で、結論から言うと「雑誌に掲載されないのは、方向性が違うためではないのか?」という指摘は全くその通りである。ただ、自動車雑誌よもっとがんばってくれという思いからボツになるとは分かっていても、突き通してしまうのだ。ではなぜ突き通すのか。それは素人にさえ負けてしまう可能性の高い、将来のモータージャーナリズムに対する自分なりのささやかな警鐘を鳴らしたいがためである。このことを説明するのは非常に長くなるので、機会を改めて紹介しよう。
ではボツになった原稿の一部を掲載する。「10周年では演説をやるんじゃないのか」という強い期待が一部にはあったのだが、結局やらなかった。
AZ−1、ビート、カプチーノ・・・10年経過してもいまだに輝きを失っていない車達への提言
●AZ−1を通して考える、これからの自動車趣味の新しい姿
皆さんは車のミーティング、例えばクラブのミーティングとか何かのイベントで行われるミーティングでは、どんなことをやっていますか。たぶん、ツーリングして自分たちの車を整列させ写真を撮影し、おしゃべりやバーベキューをする、ということが一般的だと思います。確かにこういう楽しみ方もあります。しかしこんなことを続けてきた結果、現在痛いしっぺ返しを食らっている車があります。それは今から20〜30年前に作られた車、即ち旧車です。
全てではありませんが多くの旧車では、以上のようなミーティングを長年行ってきた結果、真になすべきことを見失ってしまい、1.小規模なクラブが乱立しクラブ間の交流が少なく情報が共有化されていない、2.そのためトラブル解決のノウハウがまとめられておらず修理に苦労する、3.欠品でパーツが調達できない等という問題を引き起こし、車の存続さえままならない状況へと自らを陥れています。
しかし現在現役で動いている我々の車、即ちAZ−1、ビート、カプチーノが旧車と呼ばれるようになる前に、上述の問題が将来発生すること見越してあらかじめ対策を講じていたとしたらどうなるでしょうか。全く違う状況になるはずです。そこで希少絶版車であるAZ−1で行われている活動を例にとり、上述の問題を回避する対策について紹介し、これからも輝き続けていくためには何をする必要があるかを考えていきたいと思います。
まあ、こんな堅苦しい内容の文章が今の自動車雑誌に掲載されるはずがないか(爆)。でも自動車雑誌はこういう固い話題も取り上げオピニオンリーダーとしての地位を確立していかないと、個人で情報発信が簡単にできてしまう現在そして将来、素人が作ったのと同じレベルの誌面作りとなってしまうよん。