その時、どこにいたのか

 これがまた実に自分らしいというか何というか、解体屋にいたのである。春となり暖かくなってきたし、前々から進んでいた解体屋の車の再整理+入れ替えも一段落したこともあって、何かいいものはないかと物色していたのだ。
 この件は結論から言って「いいものがなかった」である。ワークスのDOHCは4台くらいあったのだが、どれもカムカバーの白いタイプばかりでヘッドから上を剥がそうと触手の動くものではなかったし、当然AZ−1なんかないし・・・

 話をもとに戻そう。地震の際、幸いなことに私は高く積み上げられた解体車のそばにはいなかった。どこにいたかというと、解体屋で最も広い場所であるエンジン解体場で、F6Aがころがっていないかどうか物色していたのだ。突然作業員の兄ちゃんが「地震だ!」と叫んだ。フォークリフトが解体車を運んでいたので、その振動かと思っていたが、次第に横揺れが強くなり揺れが30秒近く続いた。ちょうど阪神大震災が起こったときに広島で感じた揺れと同じくらいだった。そのときは広島が震源だとは考えてもいなかったし震度6弱という揺れとも思えなかったので大したことはないんだろうと考えていた。が、回りを見ると向かいにある山の崖が崩れていくは、解体屋のタイヤの山は崩れるはで結構大変なことに。

 さらに大変だったのは市の中心部。解体屋を後にして広島市中心部へ向かっていたら、広島県内の山陽自動車道は全て通行止め。ソフマップに寄ろうかと思ったら、早々と閉店していた。後で聞いた話だが、展示してあったiMacが崩れ落ちたためだとか・・・