佃煮2総括

 いや〜、ロードスターの10周年ミーティングを3回に分けてやったため、「佃煮のレポートはすごくなるんですよね」と方々から言われてしまったが、内容はともかくレポートの数の上ではロードスターになんとか並べることができた。ロードスターの場合は、「このままでは、名車ロードスターが確実にダメ車になってしまう」という個人的な危機意識と、「それでよしと本気で思い、悪い方向に周囲を煽動する一部のロードスターオーナー」への怒りこそが原動力であった(←こういう思い上がった正義感は危険、でも個人のHPだからこれくらいの主張はしてもいいとは思う)。それに対して佃煮のレポートは「AZ−1の歴史を残す」という思いが強かったと思う。

 本論に入ろう。
 自動車雑誌では様々な自動車関連イベントの結果が記事として紹介されているが、その際の扱いは「集まった車の数の多さ」と「車両価格の高さ」によって変わってくる場合がほとんどである。例えばフェラーリが集まったなら、何をやっても「すばらしいミーティング」として取り扱われる(アホか < 雑誌記者)。従って集合した数も少なくさらには軽自動車のミーティングであるこの佃煮は、やはり小さく扱われてしまった。しかしミーティングにとって真に重要なのは「高額な車をたくさん集める」ことではなく、「ミーティングを通じて何を得たのか」、カッコつけて言えば「そのミーティングが自動車文化に対してどれだけ貢献できたか」ということなのだ(「楽しかった・面白かった」という思い出は後からついてくるものだし、その思い出は、楽しみたいと思うがゆえに自発的に行動した者のみこそ真に得ることが出来る)。これに対し佃煮では、佃煮実行委員会並びに佃煮参加者が30度バンクを26年ぶりに走る等してモータースポーツ及び富士スピードウエイの歴史に新たな1ページを書き加えることで、この命題に答えた。私自身様々な車のミーティングを見てきたが、それらと比較しても佃煮は99年に行われた自動車関連イベントの中で非常にレベルの高いミーティングであったと言えよう。