三次のテストコースを造る、その1

 実は、三次のテストコースの造成状況は、国土変遷アーカイブなどの写真をみても把握できない。造成途中の航空写真が撮影されていなかったためだ。造成前、造成後の写真ならある。が、マツダに造成途中の写真が残っていた。それを紹介したい。

 まず三次のテストコースは、もともとどんな場所だったのか・・・なんと、一部は墓地だったそうだ。そこを掘り返してコースをつくった。しかも当時は土葬だったとのことで、造成中は臭かったそうだ。



 三次テストコースの玄関部分。右の矢印が、現在も存在する守衛所。ここを右折すると、三次の50周年で車を並べた直進路に通じる。
 左の矢印部分に橋が見えるが、この下をテストコースの道路がある。



 その守衛所の近くには、謎の東洋工業マークがあった。現在は存在しないし、痕跡が残っているかどうかも、衛星写真で見る限りでははっきりしない。



 こんな感じで作られたテストコースだが、次頁では完成時の神事の様子を見ていく。