オープンカフェ主催者との話

 ABCの前夜祭の際、カプチーノのミーティングであるオープンカフェの主催者の方々がやって来ているのを知り、いろいろと話し込んだ。ちなみになぜオープンカフェの主催者がやって来たかというと、ABCの代表である裏番さんを08年のオープンカフェに引きずり出すためである。
 折角の機会なので、またほとぼりが冷めたと思うので前々から当事者に直接聞いてみたかったことを尋ねた。

「オープンカフェで起こった、一連のゴタゴタは何なの?」と。


 状況が分からない人に軽く説明しておくと、実はオープンカフェは過去何度か中止に追い込まれそうになった事がある。それを乗り越えてきた人達の話を聞き我々がいかにあるべきかを考えることは、今後大いに役立つと考える。

 中止に追い込まれそうになった原因は反対派の存在が大きい。以下にオープンカフェ主催者側の見解のみ記す。反対派の見解は入っていない。話せること、話せないこといろいろあると思うので、ここでは一般に知られることを中心にまとめ、考察していきたい。


・過去どんなことがあったか
 1.不法改造車の集会があると警察にたれ込んで、オープンカフェ会場近くで検問がしかれた。
 2.不法改造車の集会があると会場側にたれ込んで、会場が変更になった。
 3.不法改造車の集会があるとスズキにたれ込んで講演会が中止に。以降、スズキは全ての車のミーティングに関し会社側からの講師派遣要請の拒否を決定した。


・主催者から聞いた反対派の言い分
 不法改造車をより分けられない限り、全面中止すべきであるとの主張。ただしより分けるための具体的な案は示さなかった。



 簡単にまとめると以上だが、自分たちの主張を実現するために妨害を働くとは短絡的な行為である。これらの情報から浮き彫りになってくる、自動車趣味をする者に・趣味の車を所有する者に求められる資質について考察していきたい。

 まず必要なのは、問題解決能力と実行力である。これが欠けている状態で何かをはじめようとすると、この事例のように周囲を混乱させるだけである。非常に簡単に言うと、問題解決能力と実行力がなければ誰もが妨害側に回る可能性があるということだ。人間誰しも得手不得手があるため、全ての領域において問題解決能力と実行力を持ち合わせる人は少ないだろう。自分の得意領域に関しては問題解決能力と実行力を十分に発揮しみんなを引っ張っていくか、反対意見であってもよりよいものにするよう対案を出す。不得意領域に関しては一歩引いて、間違っても妨害側に回らないことが肝要と考える。
 今回の事例の場合、反対派は自分たちの言い分を主張するだけでなく、不法改造車があるとしてもそれをより分ける具体的手段も同時に示す必要がある。示せないからといって妨害するといった短絡的行動に走るのは自らに問題解決能力がないと言っているようなもの。なお実行委員会側としては前述の通り、そもそも車検を通っている車が公道を走って会場へ入るわけだから問題はないというスタンスであるし、事実検問にもパスした車が入っている。私自身、見るからに怪しいカプは記憶にない。

 次に、合理的な理由と対案を有さない反対派に荷担して混乱に拍車をかけることがないよう、各人が確かな目を持つことである。彼らには次のような一般的傾向がある。もしそのような傾向の見られる人がいるのならば、確かな目で判断して荷担すべきではない。1.文句ばかり言う、2.具体的な対案を出さない、3.人の足を引っ張る、4.すぐに感情的になる。こんな人間の側に喜んで荷担する人はいないだろう。しかし実際には荷担する人が発生してしまう。なぜかというと、その方が楽だからである。文句ばかり言って何もしないほど楽なことはない。楽だからこそ、また感情をあらわにした悲劇の主人公・具体的な解決策を持たない無意味な正義感への同情心が、持ち合わせている確かな目を曇らせてしまう。

 皆が確かな目を持つにはどうするか。前述の裏返しになるが、実行力のある人の一挙手一投足を参考にして自分のあり方を見直すのに他ならない。見直すなんてしんどいなあという人は、文句ばかり言う人の側から引いて物事を見るだけでも効果は大きいと思う。文句ばかり言う人に共通することは、車以外も含めて日常の些細な事柄に対しても不平不満を言っている点だ。
 あとは自分が見たことを信じることである。それを見極めて適切な対応をして欲しい。信じがたい事だが、確かな目が曇っている人は自分が見たことよりも他人が言う噂の方を、心ない妨害者の吹聴を信じるという傾向がある。錯覚しようが幻覚を見ようが、正体も明かさない見ず知らずの人から聞いた話ではなく自分が直接見たことを・自分が見ていないにせよ当事者から直接聞いたことを信じることが、確かな目を持つ第一歩だ。それができてから、正しいことなのか、間違ったことなのか、錯覚なのかを判断すればいい。

 最後に、自動車趣味に対する高い問題意識と信念を持つ事が必要である。例えば当HPでは、旧車の犯した過ちを繰り返さないということを中心に据えて展開している。他にも改造やドレスアップなどいろいろあるが、その中の何か1つに信念を持って欲しい(文句を言うのが信念だというのは論外)。同時に車がより良くなるためにはどうするかを行動の判断基準として考えるようにしてほしい。そうすることで互いの主義主張の違いを乗り越えることができ、よりよい方向に進むことが出来る可能性が高くなる。この事例の場合、双方とも車をよくしよう思いはあったはずなのだが、結果として残念な事態が発生してしまった。信念だけではうまく行かないのである。
 過去に何度も書いているが、多くの旧車や趣味の車の場合、同じ種類の車を持っているだけの車とは何の関係もないことをするだけの集まりと化したこと、車が面白いのではなくメンバーの誰が気に入るとか気に入らないとか人間関係をドロドロさせるゴシップネタを興味の対象としてしまったこと、そもそも車をよくするという信念と実行力、即ち情報の蓄積と多くの人への還元という視点が無く、非常に小さな単位で活動し消滅して後世に対し反省の糧となる物すら残せなかったことが問題であった。簡単に言うと、今自分さえ楽しければ後はどうでもいいという考えが問題であった。余談ながら、こんな環境では確かな目を持てようはずがない。こうはなりたくないものである。



 ところで妨害するような人間はなぜ発生するのか。正直、理由はよく分からないが、どういうわけか一定の確率で発生する。個人的には今話題のクレーマーとかモンスターペアレントと根幹は同じではないかと考えている。理不尽=文句ばかり言い、過剰に感情的なだけで問題解決能力に乏しい、という特徴的パターンに一致が見られるためである。J-CASTニュースの事例に類似する例が自動車趣味の世界でも発生し、私も経験している。モンスターペアレントの問題については注視しているのだが、例えば学校側にモンスターペアレント対応専門の弁護士などを置くなどの対処療法がメインとなっており、その発生メカニズムに言及し対応をとっている事例は私が知る限り存在しない。研究が進み、モンスターペアレントへの根本的対応策が見いだされれば、それを自動車趣味に応用できるようになるかもしれない。またこのような問題を起こす人間がモンスターペアレントなどになる確率はいかばかりかという点についても興味深い。もし非常に高いのなら、やはり何らかの関連性があると考えられる。もっとも結婚できていればの話ではあるが・・・余談ながらモンスターペアレントやクレーマーが、世の中の理不尽さによって溜まった鬱憤を晴らすために、他へ不平不満をぶつけることで発生しているのであれば、非常に残念なことである。もしそうならば解決の糸口は、皆が問題解決能力と確かな目を持つことしか無いように思える。
 他の可能性としては、HPなり実行委員会はサービス業であり、自分は客だと勘違いしていることも考えられるが定かではない。確かなのは「ご無理ごもっとも」が通用する世界ではない。自己鍛錬の場であり、旧車が解決できなかった課題を克服して車をよくする場である。


 話し合いを進める中で得られた共通認識は、基本的に私が常々考えていたのと同じだった。つまり「文句ばかり言って、実行可能な改善案を持ってこないなどは検討に値しないし、考慮すると振り回されるだけ」ということだ。やはり何かを成し遂げようとする人間の考えることは同じようだ。私的には今回のABCで最も収穫の大きかった点である。
 注:私の経験上、目が曇っている人は「・・・検討に値しない」という部分は「人の意見を聞かない」とか「独裁的」という風に写るらしい。

 以上オープンカフェを事例に検討を進めたが、何が正しいか・どう進むべきかは確かな目を持つ人々の判断に任せたい。


 今回はこれでおしまい。次回もABCミーティングの様子についてレポートする。