2000GTの歴史、その2

 ボンドカーのお話。もともと2000GTにしたいとかいう要望はなかったのだそうだ。もしコスモスポーツだったら、また歴史が変わっていたかもしれない。






 2000GTのタルガトップ。なんと当時のオーナーが2000GTをロールオーバーさせ、それを修復するときにタルガトップにしたという。2000GTを壊したらさぞやへこむかと思いきや、大胆な発想で修復させた。すごい先人がいたものだ。






 こちらのオーナーもすごい。007に触発され、屋根ぶった切ってオープンにしてしまった。ブルースワットをみて、ガスタービンエンジンに換装したAZ−1オーナーなんているか??






 2000GTの系図。最初に気がつくのが、試作車の数が現在の車と比較すると少なすぎる点だ。当時はこんなものでよかったのだろうか。コスモスポーツはもっと多かったぞ。
 生産台数だけみると1966年から4年間でトータル300台程度とかなり少ないのだが、当時の車両の単年度国内総販売台数の割合でみると、そんなに稀少とも言えないのだ。当時は年100万台程度だったからだ。
 一方1992年の単年度総販売台数は約1000万台。AZ−1は後の4年間でトータル4000台。比率的には2000GTもAZ−1もあまり変わらない。それどころか当時の総登録台数(平たく言うと日本に存在する全ての車の数)ベースで比較すると、AZ−1の存在確率の方が圧倒的に小さくなる。でも2000GTって、そんなに見かけたかなあ。




 あと(オーナーズクラブの?)2000GTが隊列を組んで走るDVDも売られていた。シーンは夕暮れ時。走行中の複数台の2000GTがおもむろにヘッドライトを点灯させる。これが実にカッコイイんだ。2000GTが好きな人じゃないと感動できないかもしれないけれど、おすすめのビデオ。また私だけかもしれないが、2000GTが写っているシーンを脳内変換し、AZ−1が写っているシーンだと思って見ても、全体的に違和感が感じられないのがこのビデオの不思議なところだ。そう遠くない将来、AZ−1もこんなカッコイイビデオを作ってみたいものだ。

 逆に全くおすすめでない2000GTのDVDもある。それはスピードトライアルの記録映画なのだが、これがもう最低。何が悪いかといったら音楽。特に映画のラスト近くで何かトラブルが起こりそうな予感をさせるハラハラ音楽が流れるのだが、結局何もおこらずに淡々と周回を重ねて終了。絵的に何の盛り上がりもないし、肝心のスピードトライアルを行う意義がストーリーから伝わってこない。ここまでやってくれると「なぜこんな映画を作ったのか」と聞いてみたくなる気分になる。カネをドブに捨てるなら、このDVDに決まりだ。


 以上でレポートはおしまい。またmega webで面白そうなイベントがあることを願っておこう。