チチヤス創始者のエンスー人生、その1

 広島以外の人は知らないと思うのでチチヤスについて前説しておこう。ここはヨーグルトを作っている会社なのだ。現在は他の会社に身売りしてブランドと商品だけが残っている。チチヤスハイパークは、いわば牧場の一部を遊園地にしたようなところで、プールやらゴーカートやらもある。昔は旧車ミーティングでヒルクライムなどが行われたこともあった。

 昼飯時に入った会場(大広間)に創始者の写真が飾られていた。中には自動車に深く関わる驚くべき写真もあった。
 下の写真が創始者の子供時代の写真。時代は明治にまでさかのぼる。当時は丁稚としてヨーグルトではなく牛乳を売り歩いていたようだ。





 このころからヨーグルトを売り始めたのだろうか。当時は馬車で売られていた。







 馬車が自動車に変わった! 当時は車は相当珍しかったに違いない。こういう状況をみると、いつも思い出す話がある。金八先生でおなじみの武田鉄也氏の話だ。時は戦後になるのだが、田舎住まいで車が珍しかった頃。当時の車だからオイル漏れもよくあった。たまに車がやってきて排気管からオイルが垂れて水たまりに落ちると、水面が虹色に染まる。それを見て「こんなきれいなものが出ているのだから、排ガスを吸ったらきっと頭が良くなるに違いない」と思いこみ、車がきたら排ガスを吸いまくったとのこと。それで「あ〜、頭が重くなった」・・・これは知識が貯まって頭が重くなったのではなく、一酸化炭素中毒の初期症状である(笑)。