教訓

 結局修理金額は、工賃だけで定価54万円かかってしまった。最終的には48万円に負けてもらったけど。下に明細を示す。これが高いか安いか、金額に見合った修理なのか、うまい修理なのかそうでないのか、正直私には判断できない。ただ、見た目はニコイチだとわからない。あってはならない話だが、修理の参考にして欲しい。なおパーツのほとんどは自己手配(保守用パーツの使用)でまかなったため、部品代はニコイチベースのフレーム(ノーマルコンピューター1個と交換の約束)とショートパーツ程度だった。











 今回の修理を通じて感じたこと。それは・・・

「ボクは本当にこのクルマが好きなんだなあ」と思った・・・・

というような当たり障りのないというか、感情表現でお茶を濁す自動車雑誌にありがちな書き方を、当HPがすると思うか!?

 「好きだ嫌いだ」、「ホレたハレた」を行動判断の基準としていては、嫌いになったら終わりになる。辛くなったらすぐに逃げ出す。回りからの反対に配慮して当たり障りのないことばかりやっていたら、何も進歩しない。「継続は力なり、進歩こそ正しい」と断言はしないが、進歩が目的の1つとなっていない趣味はただの暇つぶしであり、下手の横好きであり、金持ちの道楽でしかない。自動車趣味とはこんなにも安っぽいものなのか。キワモノ車に乗ることが即ち自動車趣味なのか。そんなことはないはずだ。車を通じて自己実現を図る。これこそが趣味の本質であると思うし、この点を行動判断の基準としていかなければ、やろうとしていることに目的や一貫性がなくなる。自動車雑誌は決して書かないことだけど。
 ま、こんなことを書くと「考え方の押しつけ」とか「価値観の押し売り」だと言い出す人がいるけど、そういう人は過去の経験上誰に何を言われても「考え方の押しつけ」としか捉えないだろうし文句しか言わない人なので、残念ながらターゲット外として放置するしかない。当HPは種々の企画を通じて「何をどうすればこんないいことがある、だからこうしましょう・・・」という一例(たたき台)を、手を変え品を変えて挙げているに過ぎないのだが、どうもそれが通じない。こちらは可能な限り実例を挙げて説明しているのだが、具体的になりすぎる=(人によっては)押しつけがましく捉えられる原因なのだろうか。まあいいか、押しつけか提案かは手慣れた方だったら切り分けられるし、当HPではそれができる人をターゲットにしているだけなので。万人向けにレベルを合わせるのは大変だからだ。

 話が横道にそれたが、具体的にはどうするか。答えは1.自分なりの明確な目的意識を持つこと、2.AZ−1みたいな車を所有するということはどういうことか覚悟を持つことである。このあたりの事は当HPでも過去何度も触れたことであり、実社会でもQCサークル程度の経験があれば理解できる話なので、そちらを参照していただきたい。私のケースで手短に言うと、「目的意識」については、情報の集中・集積と公開で多くの人に実践・参考にしてもらい旧車の犯した過ちを繰り返さないようにすること、AZ−1を通じ理想的な自動車趣味のあり方のモデルケースを作り上げることであり、「覚悟」については、ひたすら継続しレベルアップしていくことすることに他ならない。
 奇しくも今回の事故を通じて、以上のことを自分なりに再確認できた。そして「ボクは本当にこのクルマが好きなんだなあ」などという脱力系モータージャーナリズムに影響されてはいけないと改めて確信したのであった。