成田空港にて、その1

 日本からセパンまでの出国ルートは3つ設定された。成田、名古屋、関西、福岡である。チケットウインドウズレーシング(TWR)は広島から成田まで飛んで、成田より出発した。




 JTBカウンターでチケットを受け取り「んだすて友の会」と合流してチェックイン。





 ところで成田といえば「三里塚闘争」。大学の時は中核派が叫び、原理研が布教活動のため生協の前で踊りまくり、民生同盟等が裏で暗躍していた。このようなバックボーンをもとに、今回初めて成田へ行った。確認したかったのは、まだ三里塚闘争の跡があるのかということ。




 ん〜、これか?? 塔の跡が見えるぞ。だとしたら、これは航空機が進入できないようにするために立てた塔だ。機動隊がなぎ倒したはずなのだが、土台はまだ残ってたんだ。







 当時闘争のデモに参加していたという人の言い分によると、三里塚闘争のきっかけははそもそも国が農民への説明もなく成田空港を作ると言い始めたことらしい。それになぜ農民が反発したかというと、農民は先祖代々から受け継いだ土地に執着心がありなんとか守りたかったのが理由とのこと。しかし、農民だけではお上にたてつくことができないこと、国のやり方が日帝的だということで学生運動と結びついたというのだ。なるほど。
 ちなみに過激派への対策費がかさみ、成田空港建設費用は当初予算の10倍もかかってしまったらしい。これに懲りた国は、以降の国家プロジェクトでは住民説明会などをしっかりと行い事前の根回しをすることにしたため、結構すんなりと事が進むようになったとのこと。従ってその人が言うには、成田闘争は結果として国家繁栄の基礎を築いたと正当化していた。