TWRのAZ−1はどうだ

 当日のコンディションは、残念ながら雨。この雨がとんでもない波乱を呼んだ。レース開始直後、1周もしていないのにクラッシュでレッドフラッグ。しかも30分くらい中断。そのようなひどいコンディションの中での開催となった。この時私はFISCOの外にいて、この程度の状況しか分からないんだけど・・・




 この雨がTWRにも災いをもたらしてしまった。なんと序盤の段階でスリップしてクラッシュ。あちゃー。ピットにあるモニターでしか確認できないし、しかもカメラが順次切り替わっていくので、ほんの数秒しか確認することができない。何度も切り替わっていく内、もう自走できないんだ、という実感が湧いてきた。




 このような状況の中、驚いてしまったのがTWRクルーの冷静さであった。なんでこんなに落ち着いていられるんだ、と思ってしまうほど冷静。リタイヤ届け等の事後処理を淡々と進めていき、昼を迎える前にTWRの夏はあっけなく終わった。


 ここから先の話はチケウイとは関係ないのだが、この冷静さをみると、やはり自動車趣味を進めていく上で「冷静さ」は非常に重要なものと感じた。まあこのHPも開設して7年を過ぎたが、その間「冷静でない人」、「すぐに熱くなる人」は淘汰された(←私としては過去形を使いたいわけだが)。彼らのような人物が少数でも存在すると、些細な考え方の違いや主義主張の違いを乗り越えることができず、すぐに「あいつが気にいらん」と言い出して物事が先に進まなくなるんだ。そして後はおきまりのパターン。小人数の集まりに分散してしまい、結局大したことができないでいる。自動車趣味という共通の目標(?)に邁進していける人々がたくさんいれば、些細な考え方の違いは乗り越えられるはずなのだが・・・自動車趣味の世界を「人・もの・金・情報」という切り口で見て、さらに「人」を「心」「技」「体」で切り分けると、旧車の犯した「心」の面での最大の過ちは、このような人々の存在ではないかと思う。もし彼らがいなければ、自動車趣味として非常に理想的な展開となったに違いない。もちろんいなくなったらいなくなったで人数が減って協力者の頭数が少なくなるという話はあるが、それよりも弊害の方がはるかに大きいことは種々のクラブの状況をみれば明白である。
 「もし彼らがいなければ」・・・そんなことが果たしてできるのか。AZ−1の現存台数と日本の人口を比較すると、あながち不可能ではないようにも思われる。日本の人口が1億2千万人。話を単純にするために女性はAZ−1に乗らないと仮定すると、AZ−1に乗れる人は6千万人。この中には18才未満の人や老人もいるので、彼らをざっと除くと3千万人となる。それに対し、AZ−1の現存数は恐らく3000台。AZ−1オーナーになれる確率は、1万分の1なのだ。女性も含めればもっと減って2万人に一人となる。「些細な考え方の違いは乗り越え、自動車趣味という共通の目標(?)に邁進していける」という強い精神力・自動車趣味に対する深い造詣・メカや運転に関する高い技術を持ちあわせた人、そして今から努力して持ち合わせることのできる人、最終的には持ち合わせることはできないかもしれないが、それでもがんばって努力し目標に向かっていける前向きな人、方向性は違うかもしれないが自らの理想を明確にし、それに向かって進んでいける人は1万人に一人は必ずいるよ。そういう人たちで固めないと、自動車趣味は(というか全ての物事に当てはまるんだけど)発展しないだろう。あとはどうやって選ぶか、どうやってそういう人が自動車趣味興味を持ってくれるにはどうしたらいいかなんだけど、長くなったんで後日お話しするということで。
 以上の計算はAZ−1を例にとったものだが、他の趣味の車でも成立する話である。極論ではあるが、旧車の犯した過ちを繰り返さないためには、発想の転換が必要である。