オーナー吼える

辛口の「言いたい放題」。著者の熱い思いが前面に出ていて面白い。




ノーマル以外のミラーを「論外!」と斬り捨てている

「走らない!といって直ぐにチューンをしようとする人がいるが、きちんとオリジナルにしていれば走らない訳はない。そんな人に限ってステレオなどの電気を食うものをつけている。」

「あなたの車は一日400キロを走らせることが出来ますか?レストア中なら仕方ないが、何時でも走らせることができなければ何の価値もありません。クラブイベントくらい臨番でいいから自走して来てください。走れないような車はミーティングに持ってくるな!と言いたいくらいです。」

「オリジナルコンディションのSが皆無なのに驚きます。程度の良い車は外に出ないのでしょうか?ホイールキャップ、エンブレム、全て揃えても15000円位しかかかりませんので(注:今は高いよ)ぜひ揃えてほしいものです。」

「遅れれば遅れるほどパーツ状況は悪くなるだけで、そんな人は100年たっても直らないでしょう。」(レストアのこと)

「HSで部品を買うことができるのだから普段から買っておかない人がいけないのです」(パーツのこと)

「パーツリスト、サービスマニュアル、取扱説明書など、コピーで充分なので早めに手に入れてください。」

このように熱い言葉が続いている。



総括
 このように冊子の内容を吟味していくとあることに気付いた。こういったマニア製作の冊子というのは個人の主観、主張、独断と偏見が入りまくりの状態であり(そこにマスメディアに出来ない良さがある)、これは現在の「1カーマニアが主催する車HP」と基本的に全く同じということである(情報量も含めて)。一方で大きく異なるのは、過去の冊子は情報を渇望する少数が金を払ってまで購入するものであったのに対し、今のHPは非常に簡単に(言葉を変えると安易に)多くの人が見ることができる点であろう。情報を渇望する人ばかりではなくテレビ番組を見るような気軽さでアクセスする人もいるだろう。
 では独断と偏見を引きずったまま、巨大化したHPというのはどうなるのだろうか?そこには「1カーマニアとしての主張と放言」を続けたい主催者と、HPを既存のマスメディアと同一視してしまいがちな読み手との間に摩擦が生じる可能性がある。というより、このHP(世界最小の〜)の抱える問題点はそこにあるのではないだろうか?以前市川さんは私に「やってきたことは全て実験である(つまり前例がないということ)」とおっしゃったが、前例のないものに生じた問題は双方歩み寄って解決するのが妥当であると私は思う。つまり読み手側は、この巨大化した情報の塊を既存のメディアのルールにあてはめない柔軟さ、言い換えれば情報と個人の主張のごちゃまぜになった塊をどう料理するかと言う「受け手の自立」が必要であろう。一方送り手は「鋭い論調なれど誰も傷つけない狡猾な表現方法」を身につけるべきではないかと思う。あるいは新聞のように情報を淡々と記事にして、社説やコラムだけで思いっきり吼えるのもいいかもしれない。
最後は大きな話にしてしまいましたが、もっと身近な話として、案外こういう冊子を拾い集めて目を通すと今後のHP作りに参考になる新ネタが潜んでいるかもしれませんよ、市川さん!