AZ−1開発秘話(スピーチ)

 ビデオ上映の後は、ご来賓の皆様方による「AZ−1開発秘話」のスピーチがあった。このスピーチ、主催側の予想ではみんな料理を食べながらスピーチの内容に突っ込みを入れながら聞く、即ち結構ざわついた感じで行われると思っていたのだが、やってみたら全く逆。会場の前に陣取っていた人たちは床に座り、たくさんのビデオカメラが回りだした。一字一句逃すまいという完全な臨戦態勢である。この熱い姿勢が、普通のミーティングで行われるパーティーとはひと味違う所だ。




 このスピーチは、計画段階では一人5分だったのだが、実際には大幅にのびてしまった。これはひとえにご来賓の皆様の熱い思いがそうさせたのだ。

 で、このスピーチなのだが、なかださんが完璧な要約版を作られたので、それをお借りすることにした。なかださん、ありがとう!
 なお、なかださんのHPはここ
 なかださんの10周年のレポートはここ
 今回お借りするスピーチの要約が書かれているのはここ


 基本開発、スズキとの連絡役などのなんでも調整役をやられた下久禰さん




1,AZ−1の開発にはトータル7年間かかりました、その間ずーっと携わってきていて、当初はミラのエンジンを載せて作ってみました。

2,外人デザイナーがデザインしたこの試作車はまず最初に乗り込めないという問題が発生して、どうしようかということで今のガルウイング構造になりました。

3,当初AZ−550の時は月産500台の限定生産という量産モデルを意識した作りでしたが、ほかの形の物も合わせて1,2,3と3バージョンの着せ替えモデルということでしたが、マツダ自身は1の物を手がけていました。

4,同時期キャロルの開発のが進んでいて当時バブルの絶頂時期でしたから、そんなAZ−1開発の余裕など無くて結果はイギリスのH&W社というメーカーにお願いして作ることになりました。この会社がどの程度実績というか出来るのかもわからずに、スタートすることとなりました。

5,コストとの戦いでアルミフレームの断念、エンジンなどの部品をスズキの物にするなどの方針転換でスズキさんと横浜で交渉、エンジン他の部品を供給してもらえないかとお願いにあがったら、すぐに翌日うちも乗りますという返事が来たそうです、ただその車はウチでも売らせてくださいという条件付きでした。

5,発売まで3年という時間がかかってしまい、マツダ社内で開発していたら1年早く発売出来ました。ということはホンダビートより発売が早かったので、そしたらまた販売台数なども大きく違っていたかもしれません。

6,デザインはそのまま行きたいがコストや他の問題も出てきました。
  a,ヘッドライトがリトラ→丸目に変更。
  b,ドアもアクリル→ガラスに。
  c,ドア材質もアルミ→鉄。
  d,ドアダンパーも開発に苦労して取り付け位置やドアの精度の問題、皆さんにご迷惑かけているダンパーも夏場は勢い良く上がって冬は力無くと、本当は温度調整バルブを取り付ければ解決出来た問題ですがコストでやむなくあの形になってしまいました。

7,試作後半になってもいろいろと問題が出てきました。
  a,衝突安全の問題で、本来は最初にやるべきことでしたが、スペアタイヤをフロントに取り付けると前面からぶつかった時にスペアタイヤがステアリングシャフトを押して、ハンドルが運転者に延びていくということで、やむなく貴重な後ろのスペースにスペアタイヤを取り付けることとなりました。他にもガソリンタンクを移動してやったらとか、タイヤをもっと沈み込むようにしようとかいろいろな案が出ましたが結果あの位置になりました。
  b,ぶつからないという前提でスペアタイヤをフロントに移動している人も今日見かけましたが実は私も前に移動しています。(会場爆笑)
  c,ひっくり返った時の脱出方法は? 運輸省から当然出てくる質問を想定して実際にひっくり返してそこから脱出する方法を写真に撮って、ほらこうやって出られるぞという証明をしました。

8,エンジン、足関係はスズキさんからの供給でしたがスズキさんからあのエンジンはカタログ上は64だけど、実際には70以上出てますよと言われたそうです。そんなに加速が良いなら負けない車を作ってやろうと思いました。

9,運輸省からはスポーツカーという表現はダメ→マイクロスポーツに名前を変更しました。





サスペンション、ウインドー関係担当の富田さん




1,衝突安全の話は補足します。開発当初はKカーには衝突安全規制は無かった。発売前になって規制が出来た。

2,エンジンはスズキですが給排気系はマツダオリジナルの取り回しですし、足の取り付け位置もスズキ指定でなく独自のつけ方をしてみました。

3,転倒時の脱出に関しては、実はウチの女房がやってしまいました。実際の被害は片方の天井とサイドのガラスが割れた程度でフレームはOK無事でした。

4,ドライビングポジションは実は私の体型であればOK、というか私に合わせました。

5,こだわりの独立3連メーターもコストの為に泣く泣く断念、今の形になりました。





テストドライブ担当、篠倉さん




1,AZ−1を担当する前はファミリア担当でした。
2,最初の試作車W140はアルミハニカムのボディで軽くてキビキビ動いて剛性感もすごくて驚きました。ちょこっとシャーシをチューニングすれば即量産体制に入れる出来でした。

3,その後AZ−550の時はアルミ→鉄になり強度面他ちょっと残念でした。

4,どうゆう車に仕上げるかディスカッションをして、試しにロードスターとレーシングカートなど乗り比べた結果、レーシングカートの感覚に似たものにしたいという方向に決まりました。

5,イギリスで試作をしましたがテストはドイツのニュルブリックリンクでやりました。普通のテストコースではせいぜい0.9G程度しかかからないのに、ニュルでは1.5Gとか出る場合があって、コーナーに加えて上下アップダウンが凄いせいです。

6,テストをする前に、ニュルは特別ですから10日間、100ラップ合計2000キロ以上の訓練をランティスでやりました。

7,10月になると日本の梅雨時みたいにウエット路面で、スピードもすごいし怖い思いをしました。試作段階S0.5の時に急坂を登って左コーナーがありましたが、そこでミスをやらかしてあのコースは安全ゾーンが小さくてカウンター当ててガードレールから数センチの所をぎりぎりで通った時に、以外にコントロール性は良いなと思いました。

8,サスのセッティングについては曲がりを重視して、直進安定を犠牲にしました。だから直進性については5点です。10点満点中の5点。ですから皆さんに注意してもらいたいのは直線ではしっかりと前を見るように!(会場爆笑)





開発最高責任者の平井さん




1,バブルにかげりが出てきた時に、上司からちょっと来いと呼び出されました。今までの経験からちょっと来いと言うときはロクな話では無いと(会場爆笑)

2,で、何かと思ったらAZ−1の開発、お前が引き継げと言われました。当時社内でもアレの開発がウマく行っていないとうわさが出ていたので、私イヤだと断ったんですが、ロードスターの時はお前のやりたいようにやらせてやっただろ、次はオレの言うことを聞けと言われて、それなら辞めるとか言いたい所でした。

3,当時マツダもバブルに乗って、販売チャンネルを2→5に増やす計画があって、オートザムにAZ−1をあてがいますという約束もしていたので中止も出来ない状態だったようです。

4,実質は開発途中からの参加という事になり、私の最初の仕事はヘッドライトのリトラ化の廃止でした。あの部分にリトラを付けるとシャーシの剛性がもっと弱くなってしまい、コストの問題もあってリトラ→丸目に決断しました。

5,リトラ廃止したら上司から呼び出されてなんで勝手な事するんだとか怒られました。私もよせば良いのに逆ギレしてやりたいようにやって良いと言ったじゃないかとか言ったら、上司もわかったわかったとかでご理解してもらいました。

6,しかしデザイナーの大黒さんからコストや強度の問題で理解はしますが、せめて丸目ではなく楕円ライトにしてほしいとお願いがありました。その時の大黒くんの目が今でも印象に残っています。

7,そして発売しましたが売れずに4000台で生産ストップ。結局失敗プロジェクトで社内での私の評価も落ちて責任取って辞めました。でも今思うと結果的に辞めて良かったと思ってます。途中からの引継ぎだったので最初から担当していればもっと違った結果になっていたかもと思っています。





チーフデザイナー大黒さん




 大黒さんは、100枚強のスライドを使って、デザインスケッチ時代からのAZ−1のデザインの変遷を説明。

1,1985年に軽自動車でスポーツカーが出来ないかスタディーを始めました。

2,Aタイプ、Bタイプ、オープンタイプなどのいろいろなバリエーションを考え出して1/5モデルも作りました。

3,1986年に1/1モデルを作って今の形になりました。

4,最初はアルミのボディーにカバーを付けたタイプで当初はリトラが付いてました。試作でコンパクトになるように開閉式では無く、水平に上下するタイプの物を付けたんですが、動きがフラフラッというあやしい感じでした。

5,三次の風洞テストの写真です、見てもらえばわかるようにリアエンドの部分以外は空気がきれいに流れています。

6,フロントボンネットの空気取り入れ口、写真を見てもらえばわかりますが、あの位置と大きさだと全然空気が入ってません、それで現在の形と大きさに変更しました。

7,リアのボンネットのスリット、こちらも写真を見てもらえばわかりますが、ここが負圧になってます、このスリットは空気を吐き出す場所でなく、取り込む穴です

8,リアランプは当初ポーターの物に着色して付けてましたが、やはり今時のデザインには合わないということで作りましたが、取り付け穴はもう変更できないのでそれに合わせて作るしかないでした。

9,あの当時の同じようなサイズのスポーツカーと並べての比較写真です。並べて見劣りしてないかも比べてみました。

10, モーターショウ用に着せ替え用のデザインもやりました。これなんか新入社員がデザインした物です。

11, こんな感じで昔はチケットウインドーも大きかったんです。

12, 内装では3連メーター廃止でスズキセルボの物を使いました、ホワイトパネルはそのまま。