謎に満ちたトヨタ2000GT
トヨタ2000GTである。しかも2台もある。さらに両方とも左ハンドルだったりする。ついでに言うと、タイヤがパンクしていたりする(^_^;)。

車は走ってなんぼと言われる。稀少車を無目的に走らせていたずらに走行距離を伸ばすのはどうかと思うのだが、走っている車より展示してある車の方が多いんじゃないかと思えるほどになってくると、やっぱり車は走ってなんぼという解釈は正しいと感じるのであった。
この2000GTはかなり怪しい車である。説明書きを引用しよう。
トヨタ2000GTは、トヨタが世界に誇る本格的なグランツーリスモとして、1965年の東京モーターショーでデビューした。ロングノーズ/ショートデッキの魅力的なスタイリングもさることながら、バックボーンフレーム構造や6気筒DOHCエンジン、4輪ディスクブレーキ、マグネシウムホイールなどメカニズムにおいても高く評価しなければならない。
販売に移されるのは67年の5月からだが、当時の価格は238万円。カローラが50万円程度で買えた頃だから、庶民にとっては高嶺の華だったことは言うまでもない。まさにあこがれの的であった。また特注で造られたオープンモデルカーが、映画「007は2度死ぬ」でボンドカーとして使用されたことは、あまりにも有名な話だ。
長い歴史を持つ車にはさまざまな謎がつきまとうものである。このトヨタ2000GT(赤い方)も歴史の狭間に出生の秘密を隠した1台である。
まず輸出仕様の左ハンドルであるということ、大型オイルクーラーがついていることや外観からMF12型であることがわかる。つまり後期型の輸出仕様車として試作されたものの、実際には市販されなかったものと推測される。しかし不思議なのは、搭載されているエンジンはDOHCで後期型のOHCエンジンではない。さらにシャシーには、MF1-10010と刻まれている・・・これはシャシーも前期型であることを示している。そしてこのシャシーナンバーをトヨタ自動車に照会してみると、「特殊用途車」になっているのだ。
一説ではこの2000GTは一時期試作されていた固定式ヘッドライトのプロトタイプである、といわれている。その根拠は、ボディーを後期型に載せ換えている点。通常プロトタイプを市場に流すとしてもボディー交換したりはしない。ということはこの車は前期型シャシーに固定式ヘッドライトのボディー(細部はクレイで成形)を載せていたプロトタイプ車を何らかの事情で手放すことになり、その当時生産されていた後期型のボディーが載せられた、というのだ。もちろん、今やそれを立証することはできない。が、名車ゆえにつきまとう様々なヒストリーに思いを馳せてみるのもおもしろい。
さて次回はAZ−1に関係する展示車両を中心に紹介していく。