韓国車と環境・安全問題

 話の流れで表記のようなタイトルになってしまったが、正確に言うと「製造コストが安いだけで技術を持ってない車と環境・安全問題」となる。世界が環境・安全問題に着目し始めたのは、韓国車等労働コストの安い国の製品が大量に生産されはじめたことが背景にある。
 製造コストで勝負すると、先進国の車は絶対に不利である。そのため先進国が勝負できる分野は、デザインやブランド、技術力で商品を差別化できる領域ぐらいしかない。が、いくら勝っていても、それによって作られた製品の性能等に差が体感できないようでは技術力等を持っていないのと大差はない。例えば馬力。従来のエンジンを改良し、もしくは新設計のエンジンを作ることで、旧モデルから1馬力あげることができたとしよう。しかしこの1馬力の差は、通常の走行ではまず体感することはできない。にもかかわらず、先進各国の自動車メーカーは差別化の難しい領域で改善努力を続けるしかないのだ。かさむ開発費と固定費、金がかかっている割には代わり映えのしない性能・・・これでは単にコストが高いだけの車ではないか。そうすると先進国の車はコストの安い車の前に屈してしまう。この閉塞状況をなんとかすることはできないのだろうか。

 実は、この状況を打破するものこそ環境・安全問題を解決する技術なのである。どういうことかというと、排ガス規制や衝突規制に適合できない車は売ることができなくなるわけだから、またこの領域は高い技術力を持っていないと対応できない部分であるわけだから、コストが安いだけの車を合法的に市場から閉め出すことができるということである。しかも基準(規制値)が明確なため差別化しやすい。
 わかりやすくするため、もう一度エンジンの馬力の話に戻そう。ここで新開発エンジンの開発目標値を140馬力と仮定しよう。しかし、もしこの目標が未達になったならこの車は全く動かないか、というとそんなわけはない。139馬力でも車はちゃんと動く。そう考えると何の根拠があって140馬力というパワーが必要なのか、理由が実に曖昧であると言える。
 ところがこれが法律による規制なら「**という規制値に入らないと車を売ることができない」となるため開発の理由は明確だ。「139馬力でもちゃんと動くのに、なぜ140馬力必要なのか」という理屈を考えずに開発を進めることができる。技術者にとって大義名分を考えなくてよい技術開発ほど楽なものはない。しかも規制値は月日が流れるにつれて厳しくなっていくものが多いため、規制値が厳しくなり続ける限り、技術者は規制対応の技術開発で食っていくことができる。経営側としても有り余る技術力を環境・安全問題に振り向けることができ、会社内失業者を防ぐことができる。おまけにコストが安いだけの車を市場から閉め出すことができるため、今まで同様先進国メーカーの枠組みの中で互いにもたれあうことができる。

 というわけで、ここ最近各メーカーが環境・安全問題に注力しはじめたというわけだ。ちなみに以上のようなカラクリを作ることができなかったため悲惨なことになっている業界がある。それが半導体業界。特にメモリーなどは、労働力の安い海外に完全に押されているのは周知の通りである。